静岡新聞論壇

2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年以前

11月4日

時代は確かに動いている

市場型経済化が進む

利益誘導型の集票システムが機能しなくなり、知事選や衆議院の補欠選挙で素人政治家が当選するようになった。それは市場型経済化が進み、政治家が特定地域や特定団体の利益のために活躍する余地が少なくなったからだ。一例を挙げてみよう。今年の始めに越智金融再生委員長が、栃木県の金融機関の幹部に「金融庁の検査に手心を加えさせる」という意味に取れる発言をして、辞職に追い込まれた。数年前までは大蔵省の権力が絶大であって、不良資産が多い中小金融機関のうち、どこを破綻させ、どこを救済するかは大蔵省の裁量によって決まった。そこで政治家は大蔵省に圧力をかけて裁量に影響を与えることができた。極端な例は平成7年の住専問題だった。政治家の圧力によって税金が投入され、農林系金融機関が救済された。

ところが、現在では、すべての金融機関は決められた経理基準に沿って正確に決算し、かつ金融庁等の検査をうけなければならない。もし虚偽の会計処理や報告をすれば厳罰が待っている。検査の結果、負債超過であることが判明すれば、いわば自動的に営業停止命令を受ける。政治家や大蔵省が介入する余地がないという制度に変わった。それだから越智氏は辞任させられた。

米の流通が自由化された結果、米作農家は減反の上に価格低下が加わって、収入が減少し続けている。米作農家が市場競争のなかで生き残るためには、自らの能力で農家経営を改革して、高品質で低コストの農産物を生産するしかない。もはや政府や農協には経済原則に対抗して米作農家を守る力がない。農家は古いタイプの政治家にたよって、政府の保護を求めていたならば、結局じり貧になるだけだということが判ってきた。

地方自治体では、政府の規制が邪魔になってきた。例えば、ブランコと滑り台と砂場が備わった広場が公園と認められ、国家から建設補助金が出た。その結果、日本中何処でも同じような公園だけになり、老人が多い町でも公園にはブランコや砂場がある。鉄筋コンクリート建ての小中学校校舎には、政府から建設費の大部分を賄える補助金がでた。足助や湯布院等伝統的な街並みを守った美しい観光地の最大の悩みは、小中学校のコンクリート校舎が、木造家屋が創りだしている落ち着きのある町の景観を台無しにしていることだ。木造の町役場が景観と見事にマッチしているのと極めて対照的である。

島根県の中海では、地元の反対を押し切って干拓事業が継続された。島根県庁は農林水産省のメンツを潰さないで、中止させるよう努力した。このような地方の努力が実って幾つかの大型公共事業が中止になった。

行政の仕組みも変化

裁量的行政の時代には、政治家は中央官庁に対して集票能力がある団体のための政策を行うように圧力をかけ、中央官庁の役人はその要求の一部を受け入れた。政治家はその代償として、国会でその省庁が提出する法案に賛成するという関係が成り立っていた。

政府は日本経済の行き詰まりを打開するため、規制を撤廃し、裁量的行政を極力少なくなくすることを決めた。市場経済の機能を生かし、どの分野にも競争を起こさせるような制度に変えた。政府の役割は競争のルールを決め、市場参加者がそのルールを守っているかどうかを監視するだけになった。また地方分権が進み、徐々に自治体が地方のことは決められるようになった。

このように日本経済や行政の仕組みが変化すると、利益誘導型の政治家の存在理由がなくなる。またかっての中央政府の裁量的行政と相似型をした県政では選挙民の支持が得られない。国民は古いタイプの政治には関心を失ったが、自民党だけではなく民主党にも古いタイプの政治家が多い。そうなると、素人政治家や型破り政治家が新鮮に見えてくる。こうした背景から田中、川田両氏は当選し、石原氏の人気が高い。時代は確かに動いている。

ページのトップへ