静岡新聞論壇

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7月3日

木を見て森を見ない施策

世の中には、木を見て森を見ない場合が多い。いろいろな要因を総合的に考えることは難しいものだ。学問の世界でもそうした問題が多い。例えば、遺伝子医学は目覚ましい発展を遂げ、個人の遺伝子を調べることによって、癌や精神病の発生をかなりの程度予想できるようになったそうだ。遺伝子医学は最先端の魅力ある研究分野であるから、世界の俊秀な学者が集まる。

彼らが日夜研究に励んでいるので、進歩が極めて早く、治療方法の研究がそれに追いつかない。発病の可能性が予想できても、治療方法が見つからないのである。そのため、診断結果を患者に知らせるべきか、秘密にしておくべきかという問題が残る。治療方法を発見するためには、膨大な研究費の投入が必要だ。

医学の進歩の結果、老人病の多くは、見事に克服され、老人の数が増えた。しかし、それによって、老人が幸せにになったわけではない。一人暮らしの孤独な老人が増えた。介護施設や老人病院では、子供や親戚の訪問もなく、寂しい生活を送っている老人が少なくない。

概して、日本は老人が住みよい国ではない。車椅子を使う老人には、道路の段差、歩道橋、地下道という障害物があり、またエレベーターが備えられている駅が少ない。健康な老人にとっては、一休みできる歩道のベンチが欲しい。電車の中では、若者は老人にシルバー・シートを空けてもらいたい。

長い会社生活の中で、鍛えられた素晴らしい巧みの技を備え、また豊かな経験が生み出した素晴らしい知恵を持っているにもかかわらず、年をとったという理由で職を失い、寂しく暮らしている老人がいる。地域社会と家族社会の崩壊と少子化が進んでいるとき、老人医学が進歩し、寿命が急速に延びた。

また日本経済がすっかり市場経済化し、弱者をいたわる心が失われた。強者は傲然として、強者が報われるべき富を獲得していく。そうしたときに、老人医学だけが進歩したので、不幸な老人が増えてしまった。老人問題の解決には、社会システムを徐々に変えることが最も必要だ。

強い生活道路拡大要求

建設省は、道路網の拡充によって、国民の生命を守ることができたという。例えば、日本中の殆どすべての場所で、どんな季節でも、救急車は依頼を受けるや5分以内に現場に到着し、そこから20分以内に患者を病院に運ぶことができるようになった。豪雪地帯でも、救急車は常に除雪されている幹線道路を高速で走ることができる。

かって、冬の豪雪地帯は交通が途絶えるので、陸の孤島が点在するという状態だった。そこの人々にとっては、冬の病気は生命に関わる深刻な問題だった。ところが、今や都市と同じように、簡単に病院に行けるようになった。それは道路行政の成果であるが、そのためには、膨大なコストがかかり、毎年除雪費だけでも3千億円近くが支出されている。

ところが、巨額な資金を投入して、道路を建設しただけでは、緊急医療の問題は解決しない。大都会では、自動車が道路にぎっしり詰まり、救急車が通れない場合がある。道路の拡幅は住民の反対で難しい。 また、タクシー代わりに救急車を頼むので、出動回数が増え、緊急な要求に応じられない時がある。救急車が病気の子供を乗せ、小児科医を捜し廻っている間に手遅れになったという例もある。

こうした問題は、道路投資の拡大だけでは解決できない。都会の繁華街周辺のラッシュ時には、自家用車の乗り入れを制限することが必要だ。救急車の過剰利用を防止するためには、適正な料金を徴収して、その料金によって、救急車を増車すればよい。また、慢性病患者は、パソコンを病院と結び、在宅診断ができるようにすることが望ましい。子供の緊急治療については、特別な配慮が必要だ。

しかし、世の中には、生活道路の拡大を要求する声だけが大きいが、必要なのは生活道路投資の拡大ではないはずだ。どんな問題でも、目標を明確に定めて、総合的な良識ある政策を実施することが重要だ。 専門家は余りにも専門的な立場から、非常識な政策を是認しがちである。

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