静岡新聞論壇

12月27日

失業者への手厚い援助を

責任取らぬ経営者

輸出産業を始めとして、多くの産業で人員整理が急速に拡大している。自動車産業では、下請け企業を含めると2万人以上が解雇された。非正規社員が多くなったので、企業は昔と違って解雇しやすい。

かっては、労使一体感が強かった。業績が不振になると、まず役員や管理職の賃金が大幅に、ついで一般従業員の賃金が小幅にそれぞれカットされた。経営に対する責任の大きさから云って、それは当然だった。

売り上げが減り、人員が過剰になった時には、全社員が仕事を分かち合い、賃金を減らして耐えたものだ。ついに人員削減を迫られると、割り増し退職金を支払って早期退職者を募り、また新入社員の採用を中止した。

いよいよ解雇の実施に追いつめられた時には、その公表と同時に社長が辞任した。それは従業員の生活を守るという責任を果たせなかったからだ。また役員の何人かは退陣し、残った役員の給与は大幅に減らされ、勤労課長は解雇者の職探しのために全国を駆け回った。労使は運命共同体だった。

ところが、現在では、非正規社員が多くなり、雇用契約の期限が来た時に再契約しなければ、大勢の従業員を円満に解雇できる。社長は解雇の責任を取らうとしない。また役員や職員の賃金カットもない。経営者の顔は従業員ではなく株主に顔を向いているのだ。

かっては人件費は固定費であって、売上高が増えようが減ろうが、変化しない費用だった。ところが、非正規社員が増えると、業績が不振の時には自由に解雇できるから、人件費が変動費に変わった。

大企業では、IT化が進み、需要が減少すると、それに応じて、原材料や部品の仕入れ量から、いろいろな工程の設備稼働率まで一斉に縮小できるシステムをつくった。設備が古くコストが高い工場を閉鎖し、非正規社員を減らすのだ。こうして、大企業は売上高が減っても収益を挙げられる体質に変わり、日本経済は強くなったと評価された。

ところが、失業者が増えるのは、大きな国民的損失である。技能は働くなかで、身に付くものだ。失業すればその機会を奪われ、身につけた技能が役に立たなくなる。現在では、新卒者の多くが就職できない。若い時には技能の習得スピードが速い。就職できなければ技術を効率的に習得する機会を永遠に失うわけだ。仕事がない新卒者は希望を失い、ぐれる人もいるだろう。

技能習得の機会与えて

技能を持たない人はずっと低賃金であり、結婚もできない。結婚し優れた子供を授かっても教育費が足りない。日本は少子高齢化社会になり、少ない労働力で多くの老いた人を養うためには、労働生産性が向上し続けなればならない。しかし、その担い手になるべき人の多くが失業し無為な時間を過ごし、独身者がふえている。重要な宝が押し潰されている状態だ。

このままでは、リストラが巧みな企業が生き残るが、日本の国力は低下の一途を辿るだろう。深刻な不況のもとで失業者が増加している時、最も重要な対策は失業者の生活を保証することだ。解雇者が引き続き同じ寮で生活し続け、かつ新しい技能を身につける機会を与えることが必要だ。介護、環境、農業等の産業では、製造業で働いた人の経験が役立つだろう。専門的知識を習得すれば、新しい就職先が見付かるに違いない。

それには、企業や自治体の協力が必要だ。失業者に対する手厚い援助は消費需要を誘発し、かつ人的資本の向上と社会の安定に役立つ。失業の増大とともに社会不安が増すだろう。外国人失業者に対する援助も必要だ。

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