中近東動向

静岡新聞論壇 3月31日掲載文

ヨーロッパ崩壊の可能性

共通通貨で経済が発展

世界の主要国では、20世紀後半になると、宗教と実生活との関係が一段と希薄になった。フランスでは、日曜日に教会に行くといった宗教的習慣が、1960年から90年の間に消え去り、出生率も低下した。50年には、女性1人あたりの子供が3人だったが、それ以降は2人に減った。この変動によって、子沢山のカトリック家族という言葉も消えた。

生まれてくる子供について、カトリックは結婚という形式を重んじたため、婚外子は60年には6%に過ぎなかったが、現在では60%近くに達している。フランスは、40年前には、カトリック教会がなお重きをなす国だったが、今では、国民の暮らしぶりから見て生活は宗教と離れてしまった。

信仰心が失われると、ヨーロッパ人の心に空洞が生まれた。それを埋めるため、90年代に、まず、共通通貨のユーロを導入して、ヨーロッパ人としての自覚を確実にしようとした。一神教が一通貨に変わったわけだ。しかし共通通貨制には、経済政策を拘束するという欠陥があった。もし共通通貨制でなければ、経済力が弱い国は、通貨の切り下げによって、貿易収支を好転させて、次代の成長戦略を練る余裕もあった。

共通通貨の下では、優れた企業と労働力は、生産能力が高いドイツに移動するから、多くのヨーロッパの国々は、生産効率ヒエラルヒーの底辺に張り付いた状態から脱出しにくい。もっとも、全体で見れば、経済の自由化が国境を越えて進むことによって、「ヨーロッパ経済」は発展した。90年代中頃には、人の自由な移動を保証するシェンゲン協定が、北欧・中欧・南欧の諸国間で締結され、加盟国の国民は国境検査なしで移動できるようになった。シェンゲン協定は、共通通貨ユーロとともに「一つのヨーロッパ」をつくる政策であり、現在、26カ国に適用されている。ユーロの導入とともに、ヨーロッパにおける経済の国別ヒエラルヒーがはっきりし、ドイツ経済の勝利が確実になるとともに、ヨーロッパ経済の芯が形成され、安定した。

イスラム2世対応 苦慮

ヨーロッパ経済が統一に向かって順調に進んでいた時、狙いすましたかのように、中東でIS「イスラム国」との戦いが激化した。膨大な数の難民がヨーロッパに向ったので、難民対策をめぐって、国家間の対立が生まれた。労働力不足のドイツは、当初、難民を新規労働力として歓迎したが、その数が膨張するとともに、国内のナショナリズムが刺激され、世論は二分されて、社会不安が起こった。

フランスでは、全ての国民は人種・民族を問わず、すべてフランス人として平等だとうたいながら、実際には就職等、差別が非常に多い。名前を見れば直ちに出身がはっきりするので、差別しやすい。この欺瞞性は、アイデンティティーの確立に苦しむイスラム出身者2世の反抗心を刺激し、イスラム原理主義に走る人が増え、暴動やテロ発生率が高くなる。

イスラム系のテロリストは、大規模なテロを繰り返せばヨーロッパ経済を破壊し、最終的にイスラム教の支配下に収められると思っているようだ。ヨーロッパ諸国では、イスラム2世の行動にどう対処するべきか苦しんでいる。

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