静岡新聞論壇

2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年以前

商店街の原点

繁盛する巣鴨の門前町

古いタイプの商店街は次々に崩壊していく中で、繁栄振りが注目されているのが、巣鴨の「とげ抜き地蔵」の門前町であって、「おばあちゃんの原宿」という愛称をもっている。そこは、幅10メートル・長さ一キロの道路の両側に、駄菓子屋風・雑貨屋風の約400軒の商店が軒を連ね、朝早くから夕方まで賑わっている。主たるお客は年輩者である。

商店は駄菓子、安い衣料、昔の道具等を売っているありふれた店ばかりである。常識では、当然衰退すると考えられる佇まいの商店街が何故繁盛するのか不思議だ。そこに街興しのヒントがあるはずだと考え、日本各地の商店街から視察団が殺到している。

ここの特色は、まず第一は街の中心に御利益が多いといわれるお地蔵さんがあることだ。例えば、小さなお地蔵さんの肩に水をかけ、その水をふき取った手拭が一種のお守りになり、自分の肩に当てれば肩の病が治るのである。何時も、お地蔵さんに水を掛ける順番待ちの行列ができておりそこには護摩の煙がたなびいてくる。お寺の演出も見事だ。

昔から、日本でも、中国でも、有名なお寺は、大家族や近所の人達が連れだって出かけお喋りや食事を楽しむレジャー・センターであり、また、観光の目的地でもあった。お寺やお宮はお参りという目的が備わっているから、定期的に出かける理由を付けやすい。それは家族に対しても、自分自身に対してもそうである。固定客は主として東京北部や埼玉県に住む女性年輩者であって、3~4名が連れだって数カ月おきにやってくる。縁日は月に3回開かれ、露店がびっしりと並んでいる。

第二に、そこは入りやすい店ばかりだ。店にはドアーや扉がなく、道路に向かって開放され、入り口の周りには商品が積まれている。看板の文字に江戸調の文字がつかわれ、カタカナやローマ字はほとんどない。飾りは提灯をはじめとして和風なものに統一されている。

第三に店はお客のお喋りの場所になっている。年輩者はお参りに来る都度、同じ店を訪ね、同じような商品を買って帰るそうだ。例えば、同じ雑貨屋、駄菓子屋、玩具屋をまわって、自分用の日用品、子供夫婦への土産の駄菓子、孫の玩具等をを買うのである。店には年輩の店員がおり、お客の名前や家庭の様子をよく知っており、お客の買い物の相談にのるだけではなく、孫の話、嫁に関する愚痴、病気の話等を真剣に聞いてくれる。お客は店でカウンセリングを受けているようなものだ。彼らは晴れ晴れした気持ちで帰るのである。

第四に商店街は歩きやすい。普通の日の3時以後と土曜、日曜、縁日の午後は、自動車の乗り入れ禁止であるから、お客が安心してぶらぶら歩き出来る。終日乗り入れ禁止にしたいが、所轄警察の許可が下りないのだそうだ。縁日にはお客が一息つけるように店先に椅子が置かれている。ほとんどすべての商店主は商店の2階に住んでいるので、コミュニティー意識が強く、伝統を重んずると同時に、住み易い街づくりに努力している。

住み易い街は買い物もし易いのである。廃業した店の跡に建てられたビルの一階には、商店が入るようにして、商店街の崩壊を防いでいる。商店街が繁盛するコツは、お客がそこを訪ねる名目をつくり、友達や知り合いと話し合える機会を用意し、家族への手頃な土産が見つかると言うことだ。

この街でも、つぎのような深刻な問題が生まれている。まず少子化に伴って孫の数が減り、土産が伸びない。このごろの年輩者はカラフルなファッション製品を好むようになったので、品揃えが増え、コストアップになった。良質の中国製品が流入したため、単価が下がり、売上金額が減少した。

その対策は、やはり「とげ抜き地蔵」の縁日を盛り上げて、年輩者が喜ぶ宗教のイベントを増やしまた店員が進んでお客と話し合うようにすることだ。これから、年輩者の数は増える一方だから、将来は明るいという。各地で商店街が衰退しているのは、商店街の原点を忘れたことにあるようだ

ページのトップへ