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10月13日
日本的経営の崩壊
天保時代と同じ経営
佐藤深淵は、天保時代に活躍したエコノミストである。彼は経営学を論じ、経営者たるものは要のみ握りて、人に任せて、人に骨を折らすべきものなり」と述べている。つまり、経営者は人事だけを握り、あとはすべて従業員に任せればよい。従業員は経営者から信頼されれば責任を感じ、創意工夫しながら一生懸命に働くはずである。
日本的経営の特色は、ボトムアップの意思決定にあった。長期的な経営方針もまた短期的な経営戦略も末端の部署が起案し、関連部署の意見を汲み上げながら、トップにあげられる。その時には、すでに社内でその方針や戦略についてのコンセンサスが形成されており、社長は、それを常務会などで、下から上がってきた案を厳かに承認して、「ゴォー」と命令を発すればよかった。そうすれば従業員は一丸となって、設定された目標に向かって走り出した。工場では生産性や品質の向上は主として現場で働く従業員の改善提案によって達成されている。最近まで企業は天保時代と同じ経営をしていた。
ほとんどすべての従業員は、定年まで同じ会社で働き、会社は人生そのものだった。日本経済が順調に成長していたときには、従業員は会社の発展にとともに所得が上昇し、社会的地位も向上した。しかし、最近の「失われた10年」の間に、企業倒産が増え、リストラが進んだ。従業員は一生を会社に賭けるのは危険だと感じ始めた。意識革命が始まった。
日本経済の市場経済化が急速に進み、企業の評価は株式市場で決まるようになった。かっては、経営者は従業員の生活の安定に最も責任を感じた。会社に一生を捧げて働いている人達に報いるのは当然過ぎる義務だ。これに対して株主には株価の変動によって利益を得ようとするだけの人がいから、彼らのことを心配する必要はなかった。
しかし市場経済になると、株価が高ければ信用力が向上し、低利の資金が獲得できる。増資をすれば、膨大なキャピタルゲインが得られる。会社にとっては、従業員の生活よりも株価の動向が重要になった。株価が低迷すれば人員整理を行うようになった。従業員は会社に裏切られた。仕事はきっちりとマニアル化され、従業員は黙々とマニアル通りにやるだけになった。その結果、従業員のモラルは急速に低下したが、それを補う管理体制が整っていないので、東海村のウラン加工会社や雪印乳業のような大事故が頻発するようになった。
加速するモラルの低下
そのような事故の一つに、1995年に発覚した大和銀行ニューヨーク支店の不正取引事件があった。嘱託行員に国債のディーリングをまかせきった結果、11年間にわたる合計11億ドルの損失の発生を見抜けなかった。明らかに管理体制に致命的欠陥があった。この事件に関する株主訴訟が行われ、先週大阪地裁は旧役員11名に対して合計830億円の損害賠償を銀行に支払命令を下した。
アメリカでは、会社は平気で従業員の首を切り、従業員は簡単に会社を変わる。従業員は会社よりも自分の生活を大切にし、所得を得るために、マニアル通りの仕事や性悪論に立った厳しい管理にも耐えている。長い間、性善説に立ってきた日本企業が管理を厳しくし、従業員を歯車のように扱ったならば勤労意欲が失われ、もっとモラルが低下する。しかし世界の動きはアメリカ的な市場経済と厳しい管理の方向に向かっている。この判決はその方向に加速する力になる。
それにしても、830億円の損害賠償は非常識な額だ。どの企業も急には厳しい管理体制を作れないから、株主訴訟を恐れて役員になる人はいなくなるだろう。それとともに、良識が働きだして、会社に関係のない人が簡単に株主訴訟を起こせる制度を変えようとする動きや、現行の選挙区毎の国会議員数を合憲だと判決する等判断がおかしい司法界に対する批判が、徐々に高まるに違いない。