静岡新聞論壇

2003年 

住民がつくる新静岡市

自治体は耐震化に力を 

世界の美しい都市は、建物、広場や公園、道、樹木、運河・池・噴水といった水辺等がバランスよく配置されて、また都市全体が統一した景観をつくり出している。イタリアやフランスの歴史ある中小都市や、ハンザ同盟都市にはそういう美しさがある。日本では京都、金沢、松江など古い都市の一角には、優れた景観が残されている。

美しい景観をつくり出すためには、市民の共同体意識が必要だ。 ヨーロッパの古い都市には、家を改造する時には、外観を変えてはいけないという厳しい規則があるから、景観は何百年経っても美しさを保っている。住民にとっては、街のなかの狭い道は共同体家族の廊下であり、至る所にある広場は居間だ。勿論、その道には自動車が入れない。アメリカでは、家を変な形に改造したり、派手なカラーにしたりすると、その地域の品格が卑しくなり、地価が低下するので、そうした改造が禁止されている住宅地が多い。

住宅は景観の要素という意味で、地域の公共物でもあり、一方、道は地域住民の私有物といえる。しかし、日本では住宅は完全な「私有物」であって、外観についても制限を加えることができない。逆に、道は住宅街の路地に至るまで、公共物と見なされ、地域外の自動車が自由に走れる道路になった。そのため、都市では、景観がグシャグシャになり、マイカー族には住みやすいが、老人や子供には不便な都市になり、また商店街は崩壊した。

統一された景観を持ち、のんびり話しながら歩ける道が多い人間的な都市を造るには長い期間がかかるので、私たちは、手始めに道や庭に木を植え、玄関に盆栽や花壇を置き、夏には打ち水をして、少しでも自然を取り戻したらどうだろうか。仙台は緑が溢れているため、東北地方の最大の文化都市らしい景観だ。東京の中心部は緑豊かであり、桜やツツジの季節になると実に美しい。玄関である東京駅の西側に、宮城まで広がる庭園のような景観が首都らしい品格を与えている。

ところで、住宅が公共物であるのが良く判るのは地震の時だ。住宅の倒壊は隣家を破壊し道路を塞ぎ、最悪の場合に火事が広がる。住宅も絶対に地震で倒壊してはならないのである。自治体は都市を守るために、住宅の耐震工事に補助金を支出できるはずだ。それをきっかけとして、自治体が個人の住宅の権利にも介入して、景観や「道」づくりを可能にしたいものだ。

文化都市に向けソフト充実 

気候のいい文化都市には世界の頭脳が喜んで住むから大学の質が向上しやすい。ハイテク産業はレベルの高い大学の周辺に生まれるものだ。文化都市には、統一された景観、道、木、水が必要だ。新静岡市で言えば、先ず東静岡駅の南側に、東京駅の西側のような庭園の空間を造りたいものだ。地下に歩く歩道やエスカレーターをつくれば、旧静岡市の中心部には自動車乗り入れできない道を創れる。清水の巴川は下水の完備によってきれいな流れに変わり、水上バスを充実させれば自動車を制限できる。折戸には親水空間がつくれそうだ。

中小都市には文化産業が発達しない。浜松には素晴らしいオペラ劇場があるが、時々しかオペラが上演されないのは、オペラファンが不足してるからだ。隣接県へのPRや割引高速バスなど、文化産業の協力者が必要だ。日本の都市には、市庁舎、教育施設、劇場・ホール、スポーツ施設など、豪華なハードが整っているが、総合的な都市づくりのソフトが欠けている。新静岡もその例外ではない。耐震力と、気品のある景観と、豊かな自然と、格調高い文化とを備えた都市は自然にできあがるものではない。住民の中から都市づくりのための思想運動が盛り上がることが必要だ。

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