静岡新聞論壇

2003年 

老人社会の若返り問題

時代遅れの一律定年制

昔の日本では、すべての国民が正月に一斉に年をとったものだ。正月が、特にお目出度かったのは、そのためだった。私の子供の頃は、親は誕生日に何もしなかった。それと対応するように、定年になると一斉に退職するという制度が、何の疑問もなく受け入れられた。もっと昔には、決められた年齢に達すると、姥捨て山に向かうという慣習が存在していた地域もあった。

しかし、現在では、それぞれの誕生日にバラバラに年をとるものだ。それに対応して、能力や体力に応じて、職を退くという習慣が成立しつつある。アメリカでは、定年退職制は年齢差別だと考えられている。老人になると、個人の能力差が拡大する。経済学では、80才の後半になっても活躍している学者が少なくない。三浦雄一郎さんは70才でエベレストに登頂した。これからは、老人人口が増えるから、元気な老人が働き、弱った老人の介護や医療の費用を稼ぎ出して貰わなければ、日本経済は持たない。

政治家でも、老人になっても、現役顔負けの活躍をしている人がいる。最近、中曽根さんの講演を聞いたが、原稿なしで、堂々たる国家観を展開され、壮年の反論を論破した。老人政治家の老害が目立ったならば、政策論争を挑んで、引退に追い込めばいい。定年制を敷いて、一律に引退させるのは、時代遅れであり、若い人達の実力不足と言わざるを得ない。

ところで、自民党で引退する政治家の大部分は、地盤を子供に譲っている。世襲議員は確かに、子供の頃から政治家教育を受けているので、優れた能力を備えている人もいるが、すべてがそうだとは限らない。優秀な人材が世襲議員の壁に阻まれて、政治家になれない。自民党の人材登用のシステムは明らかに硬直化している。民主党もそうだ。

後援会は、自分たちの利益を代弁してくれる人を国会に送りたい。世襲議員は親の後援会に力によって当選するから、後援会が永続し政治家の行動を縛りやすい。後援会では改革に対する抵抗勢力が強く、議員の改革意欲を削いでいる場合が多いだろう。

ところで、中曽根さんは、初当選の時から、憲法改正、教育改革に情熱情を燃やし、現在その目的達成の寸前にある。宮沢さんは、90年代の始めに、誰よりも早く、金融危機の発生を予告し、一刻も早く対策を実施することを提言した。80才で経済危機克服のために大蔵大臣になった。ご両人とも、ずば抜けた能力を備えた人だ。

出来なかった「抵抗勢力」

小泉さんは蛮勇を振るって、ご両人に引退を通告した。それなら、両人に代わる素晴らしい人材を発掘して、安心させるべきだった。当選の可能性が大きいという理由だけで、能力に問題ある2世やタレントを公認するのは問題だ。

道路公団民営化や郵政民営化といった小泉さんの公約は、内容によってその効果がまるで違うにも拘わらず、内容がはっきり示されていない。これから、諮問委員会や担当大臣が詰めるという。しかし、政治家の若返りだけは、安部幹事長の登用によって、はっきりした例が示され、小泉人気が高まった。

小泉さんの戦略は、まず革新的なスローガンを掲げ、それが余りに革新的であるから、必ず抵抗勢力が現れる。強大な抵抗勢力と孤軍奮闘する「正義の小泉」を演出して、国民的な支持を集めた。もし、老人議員が引退要求に反抗すれば、小泉さんの人気がもっと高まったはずであるが、彼等の多くは子供に議員を譲り、反抗しなかった。中曽根さんだけが「政治テロ」だと怒り、たった1人で抵抗した。「憎むべき」抵抗勢力ができなかった。それどころか同情は中曽根さんに集まった。とにかく、老人社会における若返り問題は実に難しい。それは老人が多数派であり、老人における能力差の存在が明らかになったからだ。

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