- SRI 時々刻々
- 簡易保険資金掲載文
- 家庭に広がる リスク管理(06/2)
- 日本企業と手帳術ブーム(05/12)
- 変化の時代とフレキシブル・・ (05/9)
- 人口構造の変化と顧客の囲込み (05/8)
- 企業の中の女性社員比率が意味するもの(05/7)
- 新しいコミュニケーションとネットワークの格差(05/6)
- コミュニティの崩壊とコスプレ・ブーム(06/5)
- 日本が目指す企業と社会(05/4)
- コミュニケーション・スキル・ブームの背景(05/3)
- 時代の変化と新しいリスク(05/2)
- 組織に蓄積された独自のノウハ
ウを見直す(05/1) - 豊かさとロングステイ
- ソシアル・インフラが求められる
時代 - 情報化社会のコスト(04/12)
- 多様化する広告と成果
- 大学に進出する専門学校
- ワンストップ・ショッピングの場になった
- 仮想世界の可能性
- 高騰する発明 対価と日本社会
- ユニークなファンドの登場と消費者教育
- 人材流動化時代のひずみ
- インテリアブームと繁華街の不振
- IR活動ブームの背景と効果
- ライフスタイルの多様化と時間型サービス
- グルメブームで深まる文化
- ファスティングブームによって見直された断食
- 新しいコミュニティづくり
- 成熟社会と質屋ブーム
- 環境問題と新しいネットワーク
- 過去に向かう消費ブーム
- 価値観の変化と漁師ブーム
- ネットオークション市場の発達と
影響 - ライフスタイルの多様化と賃貸住宅の質
- 狂牛病が浮き彫りにした経済
システムの欠点 - ワインブームと庶民文化
- 顧客の意見に潜むビジネス
チャンス - リサイクル社会の実現は、システムづくりから
- その他
簡保年金資金掲載文(小泉三保子との共同執筆)
狂牛病が浮き彫りにした経済システムの欠点
狂牛病騒ぎは、いろいろな点で、現代の経済システムの欠点を浮き彫りにした。狂牛病が発生すると、即座に、安全な牛肉に関する情報がテレビや新聞などで知らされた。まず取り上げられたのがブラジルとオーストラリアの牛だった。ブラジルは外貨不足だったので、肉骨粉は輸入していなかった。オーストラリアは、固有の動植物を守るために、常に厳しい輸入制限をしていた。国内でお墨付きを与えられたのは、自分の牧場で、肥料も牧草も生産している酪農家だった。言い換えれば、債務超過、輸入制限、自給自足が安全だったというわけだ。
私たちは、長い間、アダムスミスが提唱した「分業によって生産性を上げる」ことこそが近代化だと信じてきた。牛肉の生産では、牧草の生産、肉骨粉の生産、飼料の配合、子牛の育成、飼育、輸送、販売などに分業したことで廉価になった。
もちろん、それは牛肉に限ったことではない。企業規模が大きくなるとともに、機械工業でいえば、企画、設計、加工、組み立て、宣伝、営業などに分業が進む。さらに、幾つかの仕事が、まるまる他社にアウトソーシングされるようになる。それは協力工場、広告代理店、販売代理店、清掃会社、秘書サービス会社などであり、そうした専門会社が成長するとともに、分業はもっと細分化される。
農業、畜産業や工業で、分業が細分化されると、一カ所に不具合が生じたとき、大打撃を受ける。グローバル化が進展すれば、一カ所で生じた狂牛病が世界中に広がる。また、重要な供給地で自然災害や戦争などが発生すれば、たちまち品不足が起こる。神戸の震災では、世界中でゴムが不足した。分業は、もともとリスクが高い。そのため、どの企業でも、供給地の分散、備蓄、保険などによってリスクに備えている。
分業の最大の問題は、仕事の全体像の把握が難しくなることだ。実際の因果関係が目に見えなければ、結果はあまり気にならない。海や山や宇宙に廃棄物を捨てれば、そのうちゴミで溢れるのは誰にでも分かる。しかし、世界会議で討論しなければならないほど深刻な事態になるまで、ほとんどの人は気にせず、使い捨て文化を推し進め、気軽にゴミを捨てている傾向にあった。
実際にゴミを捨てる人は、ゴミを出せば終わりだ。その後のゴミの処理作業は、自治体や廃棄物処理会社の仕事なので、彼らが考えなくても済んでいる。つまり、分業体制では思考が分断され、結果として無責任体制を作り出してしまうわけだ。
狂牛病に関しても、肉骨粉を日本に輸出した業者は、肉骨粉を販売することが仕事であるから、それを売ることしか考えないだろう。彼らは、法律に基づいて、輸出出来る国に販売しただけだ。そこから先に、どんな経路をたどるかを考えることは、かれらの業務ではない。それを加工した業者は、単に安い原料が手に入ったから、利用したに過ぎない。
おそらく原料を買い付ける担当と、混ぜる担当は独立しているに違いない。集団で働いていると、責任感が希薄になる可能性があるため、使用禁止の製品が混ざっていても、良心の呵責はあまり感じない。酪農家は、販売されている商品だから、当然安心だと考え、成分などをあまりチェックせずに使うわけだ。それが結果として狂牛病の発生につながったと考えられる。
牛は、捨てるところがないといわれるほど優秀な家畜であるから、その影響は、化粧品会社、食品会社、製薬会社など多方面に広がった。食品会社には、消費者から問い合わせが殺到したが、いづれの会社も、即座に牛が使われていることについて答えられなかったという。食品会社の多くは、スープや調味料などの加工はアウトソーシングしているため、一体、何が入っているのか知らないからだ。製薬会社の中には、成分は企業秘密だから答えられないとつっぱねるところもあった。
言うまでもなく、分業は、「約束の期日に納品する」「約束通りの商品を作る」「安全なものしか使わない」といった社員同士、企業同士、企業と消費者間などの信頼関係の上に成り立っている。だから、成分を明らかにする必要も、製造方法を公開する必要もなかったわけだ。狂牛病は、それが崩れつつある一つの象徴だと言えよう。消費者の信用をいかに獲得するかが、これからのビジネスポイントになるわけだ。その一つの方法は、だれがどんな気持ちで作ったのかをはっきりさせることだ。農協に野菜を卸すとき、自分の名前や顔写真が野菜の横に出ていると、生産者の責任感が違ってきて、多くの人は、誠実に仕事をするはずだ。このように考えて、名前入りの野菜の人気は上昇している。最近は、食肉店でも個々の生産者を紹介するようになった。
インターネットの発達によって、それはもっと容易になった。ある養鶏場では、ヒヨコを育てる過程から、卵を生むまでを日記と写真で紹介することによって、安全性をPRしている。化粧品会社の中には、開発者が直接、客とメールでやりとりしながら販売しているところもある。大企業でも、最近は、技術者や設計者など、それぞれの製品づくりに携わった人をホームページで紹介するようになった。
「消費者の立場で選ぶ」という市場も膨らんできた。その一例は、生協やリサイクル市民の会など一種の市民団体や、ナチュラルハウスなどだ。生協は全国各地にスーパーを展開しているし、宅配もしている。リサイクル市民の会は、自社ビルを持っている。ナチュラルハウスは、スーパーや百貨店の一角に出店するようになった。同様のサービスは、増加の一途をたどっている。
正直に中身を表示することも重要だ。最近は、農薬の使用回数を表示している野菜が増えた。化粧品やシャンプーも中身が表示され始めた。もっとも、それを調べるためには、全てに成分が何なのか調査をしなければならないので手間がかかる。親切な会社は、鉱物油とか界面活性剤を使っていません、といった消費者が知りたいポイントを表記している。 考えてみれば、日本が今日的でなかった時代には、知り合いから買っていたので、責任の所在が明らかだし、故障があれば修理してくれた。地方ならば、農産物は知り合いから分けて貰った。一番の問題は、分業によって都市化が進み、地域社会が崩れてしまったことかもしれない。