静岡新聞論壇

10月27日

「イスラムの春」の到来

「アラブの春」の真の意味

イスラム社会では、最近40年間で近代化・欧米化を志し、イスラム離れを策動した独裁者は何れも失脚した。1970年代にはパキスタンのブット首相がイスラム主義者のハック陸軍参謀長に政権を奪われて処刑され、イランのパーレビー国王はホメイニによって国外に追放された。  

80年代にはソ連に守られたアフガニスタン共産党政権がイスラム・ゲリラに倒された。ソ連軍が去ったアフガンには中東全域からイスラム急進派が集まり、現在も、タリバンを中心として、アメリカと戦いながら、理想的なイスラム国家を建設している。

イラクの独裁者・フセインは近代化による強い国家を目指した。しかしアメリカに反抗して戦い、敗れて処刑された。アメリカは独裁者を倒したので、イラク国民から歓迎され、イラクの民主化に成功すると思った。しかし、イラク人はスンニ派もシーア派も、「腐敗した文化と制度を押しつける」という理由でアメリカを憎んでいる。テロが頻発し、治安は乱れたままだ。 

パレスチナでは、政治の主導権が近代主義のPLOからイスラム主義のハマースに移り、またレバノン南部ではイスラム急進派のヒズボラが支配権を握った。

アメリカ軍は、パキスタンでオサマ・ビン・ラディンを殺害した。しかし、パキスタン北部のタリバン勢力は弱まらず、またアメリカやイギリスでのテロ計画が減らない。こうしてみると、中東ではイスラムの力が確実に強くなっているといえよう。

自由世界は「アラブの春」を誤解している。今まで、アラブ産油国の独裁政権は、アメリカから支援を受けて國を統治して、アメリカの石油会社に産油権を与えていた。中東におけるアメリカの支配力は、独裁政権の協力によって達成された。  

ところで、独裁者一族は富を独占しており、それは喜捨によって貧しい人を救うというイスラムの教えに反している。イスラム教徒は独裁者を酷く嫌っている。独裁者は彼等の反抗を抑えるため、秘密警察網を張り巡らしている。

最近、イスラムの大衆が3つの國で独裁政権を倒したが、その結果、欧米的な民主社会が生まれるわけではない。それはイスラム世界がキリスト教を基盤とした近代社会とは全く異質であるからだ。

欧米的民主社会に「ノー」

イスラム教徒は、すべてをアラーに任せ戒律を守れば、最後の審判では天国に行けると信じ、安心して暮らしている。金曜日の礼拝や断食といった宗教行事は、大家族や部族のメンバーと共に参加し、断食明けは共に祝うのだ。彼等はキリスト教徒のような独立して判断する個人ではなく、イスラムの戒律・習慣を守り、大家族・部族の判断に従う集団である。彼等にしてみると、個人がバラバラに判断し投票して支配者を決めるのは、大家族や部族の結束を乱す制度であって許せない。

彼等は、アメリカが多様な退廃文化を持ち込んだと思っている。イスラムでは男社会と女社会と2つの異質な社会から成り立っている。これに対しアメリカは男女社会であり、シングルマザーや同性愛が認められている。また飲酒や刺激的な音楽を楽しみ、人前で皮膚を曝しており、退廃堕落の極である。

「アラブの春」は独裁者を倒して純粋なイスラム社会を建設する展望が開けたことであって、欧米的な民主主義社会とはむしろ遠く離れたと云えよう。

独裁者を倒したリビアの前途は多難だ。国民評議会はそれぞれが武装した部族の雑然とした集合体に過ぎない。カダフィーを倒したのはNATO軍であり、どの部族もリーダーシップを握れない。フランスやイギリスが加わった激烈な政権争いが長く続いた後、結局、イスラム主義の政権が生まれるに違いない。

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