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4月28日
自治体外交への期待
情報管理が原発の「伝統」
原子力発電は出生に秘密があった。日本最初の原発である東海発電所が1966年に建設された。それはコールダーホール型であってプルトニュームを生産し、その副産物として発電をする炉だった。60年代には、原子力船むつの建造計画がまとまり、また濃縮ウランを生産する研究が始まった。
これら一連の計画は、将来、原爆、原子力潜水艦、水爆等の核兵器を生産することを予想させた。最近、岸・佐藤内閣が、この頃、核武装を計画していたことが明らかになった。東海発電所は原爆の生産に必要な施設だった。
この発電所が計画された時、日本原子力産業会議は、安全性を検討した「檜山レポート」(委員長が檜山東大教授)を作成した。それによると、想定外の原因によって発電炉が暴走し、かつ強い北風が吹いていたならば、東京は緊急避難地区になる。このレポートが公表されると、原発計画が頓挫するから、極秘扱いになり、金庫に厳重保管された。
IAEAの第2回総会が63年にジュネーブで開催され、私は日本代表団に加わった。外務省から日本の核武装について質問されるだろうから、外国人に近寄るなというきつい達しがあり、私達は情報発信を管理された。 田中内閣以降、核武装計画が消えた。今度は、中東に対する過度なエネルギー依存から脱却するため、エネルギーの30%を原子力に依存する計画が立てられ、まず、東電の福島発電所の1号機が71年に建設され、それ以後、続々と大型原発が造られた。
原発は、日本のエネルギー源を確保するため絶対に必要な設備になり、それとともに、安全神話が作られた。原子力業界はしばしば、専門家を集めて、原子力事故に関する情報の扱い方についての研究会を作った。その結論は、何時も、「事故が発生した時直ちにそれを発表すると、無用な混乱が起きるから、まず事故の原因を厳密に調査し、発表はその後にすべきだ」ということに落ち着いた。
今回の事故でもこの考え方が見事に踏襲された。原子炉を制御する命綱の非常用ディーゼルが動かなくなった。専門家は燃料棒の溶融と大事故を予想したはずだ。しかし、安全保安院は「安全であるが、念のため近くの人は避難してくれ」と言うだけだった。燃料棒が溶融したという確証がないから、不安を煽るようなことは云えないというのだ。しかし、被害は急速に深刻化していった。
地方から海外へ直接発信
海外諸国は、こうした成り行きを見て、日本政府が情報を隠していると思った。多くの外国人が危ない日本を去り、またすべての日本製品は汚染されていると誤解された。日本人のマスクは放射線避けだと報道された。日本政府が信用されない時には、地方政府の出番である。
多くの自治体は世界各国の多様な自治体と姉妹提携を結んでいる。その相手先の自治体に、新聞の解説記事、中央公論等の総合雑誌における原発関係の論文を送り、情報未公開の問題、それを巡る政府批判、住民の避難の妥当性等、国内では、真っ当な議論が展開されていたことを知って貰う。また地元の農産物とその放射線測定表を持って先方に出掛け、安全であることを示すのだ。
中国や韓国の自治体には、日本語を読める人がいる。それらの自治体の長や担当者は、日本からつぎつぎに送られてくる客観的な情報を分析し、また農産物の現物を観察していると、自然と日本通になって、震災日本に対する政策ビジョンを作れるようになり、彼等は組織の内外で高く評価されるに違いない。
こうした生きた情報の伝達によって、日本の自治体は海外の自治体から信用される。その結果、文化的・経済的な交流が深まり、将来、東海地震発生の時には救援に来てくれるような関係になるだろう。現在のような異常時は自治体外交を拡大するチャンスである。