静岡新聞論壇

2月24日

国民総背番号制が必要

失業や貧困は国家的損失

マンションには、表札のない家が多い。東京の海岸地区には40階ぐらいの高層マンションが増え、1000世帯近くが住み、住民専用のプール、レストラン、談話室、保育所を備え、まるで、小さな街である。

そうしたマンションでは、家族同士が近くに親しくつき合いそうなものだが、そんな気配はないようだ。表札を出さず、長く住んでも、近所の人の名前や職業も知らない。プライバシーが大切にされるので、つき合う切っ掛けがない。

2次大戦後の日本人は、粘土のような凝集力を持つ大家族社会や地域社会を封建制の名残りだと嫌い、それを捨てれば個人が独立すると信じた。そのように努力した結果、個人が中心の核家族の社会が生まれた。この社会は危機に弱い。

それぞれの核家族は距離を保って生活している。経済の低迷が長引いても、誰が困っているかが判らない。またそうした関心も失った。自治体は、合併して大型になり、個々の住民の生活を知らない。私たちは、閉鎖的核家族社会に生きているから、失業した時、一時的にでも、働く先を紹介してくれる人も、生活を援助してくれる人もいない。

失業は技術を習得する機会を失うことであり、それだけ、労働力の質が低下することを意味している。また貧困家庭の子弟は充分な教育を受けられないから、将来の労働力の質が低下する。失業や貧困は個人的な事柄ではなく、国家的な損失である。韓国や中国では、技術進歩のスピードが速く、先端産業でも日本を抜く勢いだ。労働力の質の向上は、日本経済の成長にとって重要な課題だ。

貧困家庭の支援と失業者への技能教育は、緊急な課題だ。まず、基礎データが必要である。貧困の振りをして、補助金の甘い汁を啜ろうとする人がいるからだ。そのため、国民総背番号制を導入する必要がある。

今後、低成長経済が続くから、税収は増えないだろう。今まで財政支出の増加が、専ら国債発行によって賄われ、国債残高は天文学的な金額に膨張した。これからも、現代世代のための財政支出を、後世の世代にしわ寄せするのは、良心が許さない。

政府の財政支出計画のうち、子供手当や農家への所得保障のようなばらまきは不要だ。財政支出の増加は、生活困窮者の救済、雇用の拡大に役立つ法人税減税、研究開発力を高めるための補助金に絞り、収入の不足分は高所得者に対する増税と消費税の引き上げによって賄うべきだろう。

成長力ある経済をつくるため

国民総背番号制を導入すれば、政府はすべての国民の所得を正確に把握し、貧困世帯に対し、その度合いに応じた生活補助金を給付できる。また、個人業主等の節税・脱税が困難になり、すべての人は所得に応じて税金を負担することになる。

私たちは、プライバシーと自由な生活を求め、結局、砂社会をつくった。不幸にも、経済は長期低迷に落ち込み、落ちこぼれる人が増え続けている。将来の生活に展望が持てないので、結婚のチャンスを見送る若者が多い。失業の救済と生活保障というセイフティーネットがしっかり確率すれば、若者に希望が生まれ、出生率が上昇し、消費も拡大するはずだ。

こうした成長力ある経済をつくるためには、私たちは生活内容を税務署や自治体に丸裸でみせるしか方法がない。プライバシーを大切にし過ぎたので、粘り気を欠いた砂社会が生まれ、私たちは国家に対する経済的な秘密を捨てるという代償を払う結果になりそうだ。

ところで、もし、管内閣が国民総背番号制の成立に成功すれば、汚名が消えるばかりか、名内閣として歴史に名が残るだろう。それほどの大仕事である。

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