静岡新聞論壇

6月9日

中東民主化運動の支援を

列強介入で絶えぬ混乱

チュニジアやエジプトでは、貧しい知識青年が広場に集まり、素手で独裁政権を倒した。この民主化運動は中東全体に影響を与えたが、教育水準が低く、宗派や部族対立が激しいリビアやイエーメンでは内戦に変わり、シリア政府は弾圧を続け、サウジアラビアでは秘密警察が運動を抑えている。民主化運動は頓挫している。

それは、中東諸国が1970年代に封建的な王政から共和制に変革した國ばかりであり、その上、石油資源が豊富であるから、アメリカ等の列強が介入し、混乱が絶えず、整然とした国民国家が生まれなかったからだ。

アメリカが中東に介入する目的は、石油資源を支配下におくことと、イスラエルを守ることである。アメリカでは金融会、学会、マスコミ等重要産業がユダヤ系アメリカ人に支配されており、大統領が選挙に勝つためには、イスラエルを守らなければならない。

振り返ると、アメリカは、石油大国のイランでシャーの独裁体制を53年から強く支援した。ところが、反シャー運動が高まり、79年にはホメーニ師がリードした革命政府が創立され、イランは強烈な反米宗教国家に変わった。

アメリカはこの「反米イラン」を抑え込むため、隣国のイラクに大規模な武器援助を開始した。イラクは石油大国である上に、強大な軍事力を持ったので、自信が高まり、80年にイランと戦い、90年にはクエイトに侵攻し、さらにサウジアラビアも狙った。大油田地域の危機である。湾岸戦争が始まり、アメリカ軍はイラク軍に圧勝した。

この時、アメリカ軍はイスラムの聖地であるサウジアラビアの国内に基地を設け、そこでアメリカ軍の男女が、イスラムの教えに反した生活を送った。その上、アメリカはイスラエルを援助している。オサマビンラビンは怒り、「9月11日テロ」を起こし、その結果、アフガン戦争とイラク戦争が起きた。しかし、アメリカは勝てず、中東戦略を展開するための資金力を失ってきた。

ところで、中東諸国は、強力な政権が重要産業に資源・資金・人材を集中投資するという体制をつくり、90年代から自由な市場経済を目指した。 しかし、いずれの独裁政権も腐敗しており、権力者は、例えば、国有企業を民営化する時、汚い方法によって株式の過半数を手にいれ、また国有地の転売を繰り返し、膨大な利益を獲得し、その資金力で政権を支えた。そのため、経済が強くならなかった。

米援助の独裁政権打倒

アメリカ政府は、今までこういう汚い独裁政権に肩入れして、中東における影響力を駆使してきた。アメリカ最大の援助先のエジプトが好例だ。エジプトは70年代にソ連側からアメリカ側に乗り換え、反イスラエルの政策を中止しただけではなく、イスラエルによるパレスチナ・ガザ地区の経済封鎖に協力した。アメリカの援助額は、それに報いるため年間13億ドルを越え、ムバラク一家は王侯貴族の生活を楽しんだ。

しかし、エジプトでは、失業者が町に溢れ、日用品価格が急騰した。怒れる若者が遂に独裁政権を倒した。

ところで、この若者達はイスラムの戒律を守って、家族や仲間と金曜礼拝に行き、ラマダンには、ともに断食に入り、断食明けを一緒に祝うという宗教共同体に生きており、そこには、アメリカ風の独立した個人がない。彼等にとって、底なし自由のアメリカ社会は不安であり、制限されたイスラム社会が心地よいのだ。

アラブの民主化運動は、自然と反米になりそうだ。日本は手が汚れていないから、民主化運動を支え、安定した社会づくりに協力できそうだ。原発事故後、アラブは重要な國になった。

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