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12月13日
大発見は生産現場から
小柴、田中両氏の功績
小柴、田中両氏のノーベル賞は、日本の製造業固有の繊細な技術・技能の勝利だった。田中さんはレーザー光線を利用した「タンパク質の質量分析」を研究するために、100回を超える実験を丹念に繰り返した。その時、たまたま混合する薬品を間違え、念のためレーザー光線を当てた時、普通の研究者なら見過ごすところだったが、田中さんの研ぎ澄まされた観察力が微細な変化を捕らえた。
タンパク質はレーザー光線を当てると直ぐ破壊されるが、この混合した薬品を加えると破壊されず、瞬時に質量分析ができる。これがノーベル賞受賞の「穏和なイオン化法」の開発だった。世界の生命科学は、田中さんの観察力のお陰で飛躍的に発展した。
田中さんは「私は学者ではなく、職人だ。」と言い、「同じ実験を繰り返しても、どこかで微妙な変化が発生し、違った結果が生まれることがある。そうした時に発見があり、その発見はエンジニア冥利に尽きるものだ」と付け加えた。
小柴昌俊さんは、ニュートリノを検出するために、超大型の光電子増倍管を浜ホトに発注した。それは3000トンの水が入っている円筒形の大水槽のなかに置かれる。超大型増倍管の製作には、大型、純透明、巨大な水圧に耐える強度という3つの難しい条件を満足させるガラスの開発・加工が必要だった。
浜ホトは10年近い実験研究の結果、世界最大の超大型光電子増倍管を完成し、1万個を神岡の地下1000メートルにある東大宇宙研に納入した。実験装置が稼働した2週間後に、マゼラン星雲の巨星が25万年前に大爆発して、その時発生した膨大な数のニュートリノが偶然地球に到達し、この実験装置にも降り注いだ。小柴さんは、膨大な数のニュートリノの検出に成功し、ニュートリノ天文学という新しい分野を確立し、ノーベル賞を受賞した。彼の学問的業績は、浜ホトの技術によって生まれたとも云える。
どうも偉大な発見や開発は生産現場に近いところでの創意工夫から生まれるようだ。目的的な実験が繰り返され、また細かい技術開発が集積されて大発見に導かれていく。学問は過去の知識を体系的に纏めたものであるから、そこからは発見や開発は生まれない。権威ある大学者はもはや新しい発見ができないのは当然だ。学者は大学内で閉鎖的な知的遊戯を楽しむのを止め、製造業の現場近くで研究開発すべきだろう。
日本の技能、技術が結集
10年近く前に、浜松で静岡総研主催の企業経営に関するシンポジュームが開かれた。その時、アメリカのあるベンチャーキャピタリストが、「浜ホトは沢山の革新技術を持っているから、沢山の企業を設立して、それらを上場すべきだ。そうすれば、膨大なキャピタルゲインが得られ、多様な新製品を開発する資金が手にはいる。そうしたビジネスモデルを実施すれば、浜ホトの技術は全人類に利用され、浜ホトは飛躍的に発展する」というのである。勿論浜ホトはそんな博打的行為には乗らなかった。
経済のグローバル化とともに、IT技術を駆使して新しいビジネスモデルをつくり、巨額な資金を動かして儲けることこそ進歩であるという考え方が世界に広がった。そうした時に、日本の技能と技術が結集した2つの大発見がノーベル賞を獲得した。日本の製造業が最も得意としているのは、磨き抜かれた技能と技術の繊細な結合である。
田中さんの人気が高いのは、彼の思慮深い人柄だけではなく、我々に日本の固有の技能の重要性を知らせ、自信を与えてくれたからだ。「私は父親が終日黙々とのこぎりの目立てをしている後ろ姿を思い浮かべ、終日実験を繰り返した。ノーベル賞は父親に行くべきものだ」という彼の発言は何と感動的なことか。