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4月20日
開かれた「ゆとり教育」
一体感疎外する塀は無用
塀や壁はプライバシーを守る代わりに、社会的意識を希薄にし、また情報の伝達速度を遅くする。日本の企業は同じセクションの人は壁や境がない大部屋で一緒に仕事をしている。そのためお互いに仕事の内容や進み方がよく解り、情報の伝達速度や理解度が優れている。
サラリーマンは数年おきに部署が変わり、その都度新しい大部屋に移り、仕事を理解し合える親しい仲間が増えるので、企業への帰属心が一層増してますます会社人間になっていく。日本の企業の強さは大部屋主義にあると言われた。
アメリカのサラリーマンは個室や間仕切りされた場所で働いているので、情報の流れが悪く、また情報を共有しにくかった。ところが最近は社内LA(企業内情報通信網)が普及し、社員は絶えずeメールを使うようになった。情報の伝達速度や情報の共有度が向上した。アメリカの企業はIT技術によって壁を克服し、強力になった。
ところで、欧米では家に塀がない住宅地が多い。隣の家との境は芝生や庭であって、大げさに言えば、住宅地全体が公園のようであり、その中に住宅が散在している。どの家も住宅地の景観の一要素であるから、全体と調和のとれた形や色をしていなければならない。住宅は私物ではあるとともに、景観を形成する重要な公共物でもある。
これに対して日本では住宅は塀に囲まれ、完全な私物であって、勝手な形や色であり、高さはバラバラだ。 住宅地の景観づくりに役立とうという意識がまるでない。塀が高いので、近所の人と縁側で話したり、塀越しに話し込む機会がない。またマンションでは近所の人と話し込める空間がない。多くの住民は会社人間だったから、近所つき合いがなくても寂しくない。アメリカ人がしばしばホームパーティーを開いて近所つき合いを深めているのと対照的だ。
家の中に団らんの大部屋
ところで、この4月から「ゆとり教育」が実施され、家族と過ごす時間が長くなった。社会人になるために最も必要な礼儀や公共という意識が躾られるはずだ。学校と家庭の距離がぐっと縮まり始めた。
しかし小学校は塀で囲まれているので、地域の住民や父兄が親しみにくい。放課後やウイークエンドの運動場や校舎は住民・父兄と子供や先生が一緒に遊んだり、子供が属している地域社会の行事を行う絶好の場所であるがそうなっていない。もし小学校の塀が無くなり、住民が自由に運動場を通れるようになれば、小学校と住民の距離感が消え、誰かに見られると思うから、暴力を振う子供は減るはずだ。もし大阪の教育大付属池田小学校に塀がなかったならば、近くの住民は悲鳴を聞きつけてすぐ駆けつけただろう。
企業のリストラが広がるともに会社人間がが減り、多くのサラリーマンは地域に関心を持つようになった。そうした時に、子供の自由時間が増え、授業には総合学習ができた。今後学校と地域の関係が深まるはずだ。小学校の塀をなくし、周りを自動車の乗り入れ禁止にし、かつ家の塀を低くすべきだ。家の中に一家団らんの大部屋を作るべきだろう。
受験に強い人間は役に立たない。モラルを失い国家政策を誤っていた中央官庁のキャリア役人や、経営の舵取りに失敗して日本経済を破滅に導いた大銀行の幹部は一流大学卒業生ばかりだ。日本経済の支えているベンチャー企業の経営者には一流大学卒業生はほとんどいない。受験知識中心の教育が誤っていたことは確かだ。住民・父母が協力して、子供に躾や社会・自然との関わりを教える「ゆとり教育」によってこの誤りを正したいものだ。