静岡新聞論壇

5月27日

沖縄経済の振興策

不幸な歴史と深い関係

沖縄県では、本土復帰30周年のいろいろな行事が行われているが、沖縄経済は自立的な成長力を欠き、失業率が高く、本土経済との格差が拡大している。これからの沖縄の成長には一国2制度が必要だという考え方が広がっている。

沖縄は本土から遠い。製造業が発達していないから、沖縄・本土間の帰りの船は空荷だ。そのため運賃コストが高くつき、それだけ物価が高い。部品や原材料コストが高いので、製造業の企業を起こそうという人がいないという悪循環に陥っている。沖縄は梅雨が長く、台風が多く、冬の西風が強い。東京・大阪から遠い。物価が高いので、観光地として優れているわけではない。沖縄経済には自立的発展の道がなさそうだ。

何故沖縄の産業が弱体であるのか。その原因は不幸な歴史と深い関係がある。2次大戦の終わり頃、沖縄本島では壮絶な地上戦が展開されて、多くの島民が殺され、都市も村も焦土と化した。敗戦後は30年近く米国の占領下に置かれ、本土復帰後も巨大な米軍基地が置かれたままだ。

基地は朝鮮戦争が勃発した時建設された。その頃円レートは1ドル・360円だったが、米軍は沖縄通貨(B円)のレートをその3倍の1ドル・120B円に決めた。基地建設のための資材や建設機械は本土から、3分の1の価格で輸入された。建設労働者は低い賃金だったが、本土からの輸入品を買えば十分生活できた。

つまりB円の対ドル・レートが割高に決められたので、基地建設に必要な資材・機械、消耗品は専ら本土の企業に発注された。その結果、本土の経済は「奇跡の経済復興」を遂げ、沖縄の企業は市場を奪われ、成長の芽を摘まれた。アメリカは基地建設のための人件費を低く抑えることができた。沖縄は2次大戦中には本土を守る「盾」となり、戦後は本土の経済再建の「出汁」として利用された。 沖縄県は復帰の数年前に、外資による製造業の育成を目指して、エッソ、ガルフ、カルテックスなどの精油所の建設やアルコアのアルミ精錬所の建設などを許可しようとしていた。ところが本土に復帰すると、外資の進出を厳しく制限していた通産省は、この計画を潰してしまった。沖縄は製造業を興す機会を逃した。

徹底した一国二制度を

日本政府は沖縄が復帰すると、沖縄に対する罪意識を償うかのように、3兆円を超す公共事業を実施し、短期間で本土並みのインフラを整備した。その結果、沖縄にはまず中央政府と交渉し、その指示に従って補助金を散布する地方自治体というサービス産業が異常に発達した。同時に公共事業の工事をを実施する建設業が膨張した。しかし公共工事の資材や建設機械は本土の企業に発注されたので、製造業は成長しなかった。

沖縄振興策として、これから「金融特区」が認められ、法人税の免税措置が与えられることになったが、うまくいったとしても、せいぜいコールセンターか、バックオフィスの機能が定着するぐらいだろう。沖縄は日本に属し、遠い東京にある中央官庁の規制を受けている限り、自立的な成長は難しそうだ。もっと徹底した一国2制度システムを採用すべきだろう。

例えば沖縄通貨をつくり、そのレートを円の70%ぐらいにすれば、すぐ近くにある上海や台北から美しい珊瑚礁に惹かれて観光客が多数やってくるだろう。それとともに土産物やホテルの食材をつくる製造業等が発達して自立的成長力を備えるようになる。中国や台湾からの投資が増えるだろう。地方主権が最も必要な県は沖縄だ。

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