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7月8日
地方債と「特区」制度
民間活力で経済成長
地方債は国の信用力をバックに発行されているので、どの自治体が発行しても金利が同じになるはずであるが、最近では地方債の流通価格が自治体ごとに幾らか変化し、それが新発債の利率にも反映され始めた。財政が破綻状態にある大阪府は府債の金利上昇に悩んでいる。
国家財政が破産状態にあるから、国家が自治体の赤字を埋めるというシステムは徐々に解体し、今後赤字が大きい自治体は破産せざるを得なくなるはずだ。証券市場ではこういう恐れを折り込み、赤字が大きい自治体の地方債は金利が高くなるというメカニズムが働きだした。
地方自治体にとっては中央政府から権限を委譲され、自らの力で地域経済を発展させることが重要な課題になった。そのための政策の1つとしてそこだけに諸規制を緩和・撤廃する「特区」制度が検討されている。東京都では臨海副都心を、横浜市では臨海部をそれぞれ国際的なハイテク研究やビジネスのセンターとしての特区にしたいと考えている。 特区では建築許可を始めとするいろいろな許認可が緩和或いは撤廃され、民間活力が生かされる。ある特区では、外人の就業ビザの取得が緩和され、外国の学校や病院の自由な進出が認められ、外国で獲得した教員資格や医師資格を承認される。こうした特区では研究環境、教育機関、医療・介護施設等が整うので、国内だけではなく、世界各国から優れた人材と企業が集まり、この地域の経済成長力が高まるはずだ。
また農村地帯では、株式会社による企業的な米作が実施できる特区をつくれば、コメ農業における規制撤廃の良否をはっきりさせることができ、農業が発展するきっかけになる。
このようないろいろな特区をつくることは大賛成だ。また特区では期間を決めて事業税などを減税し、戦略産業を育成すると言う考え方も悪くはない。
振り返ってみると、浜松市は1920年頃に機械工業の特区づくりに成功し、現在のようなバイク、自動車、楽器、光技術製品などを生産する世界的な機械工業都市に発展する基盤がつくられた。
浜松、清水など成功例
浜松は当時織機とオルガン・ハーモニカの大産地だったが、市当局は土地を用意し全力を挙げて機関車を製造する鉄道院・鉄道工場を誘致した。その結果優れた技術者・技能者が1000名も浜松に移住し、また外注の仕事が増えた。同じ時期に誘致した浜松高等工業(静大工学部)は文部省の規制を無視して自由な教育を行ったので、高柳研究室ではテレビが発明され、大勢の優秀な技術者が育った。浜松は技術者の街になり、技術者希望の子供が増えた。多くの技術者は勤め先の会社をスピンオフして新しい企業を起こした。浜松は現在でもハイテク中堅・中小企業が多いという点では、日本有数の都市だ。
また清水市をサッカーの特区と考えれば見事な成功といえる。30年以上前にサッカー好きの小学校の先生が種をまき、市とボランティアが活動して、小中学校にナイター設備を作り、サッカー一家を増やした。小中学校の選抜ティームが海外遠征するようになり、ワールドカップには6名の選手を送った。
自治体が鋭い先見性を持ち、いざというときには規制を無視してかかるぐらいの実行力を備え、かつ熱中するボランティが多ければ特区は成功するものだ。これに対して政府が特区を指定して、そこだけ規制緩和を認め、また税制の優遇措置を実施するという政府主導型の特区づくりは中央官庁の権限を増やすだけで効果がない。