静岡新聞論壇

2005年 

空港が開く県土発展の道

今や最も不便な静岡、浜松

東海道新幹線が開通した頃には、静岡市の宿泊客が減ると予想した人が多かった。それは、東京のビジネス客が日帰りになり、大阪のお客は熱海でゆっくり泊まると考えられたからだ。確かに東京の訪問客は日帰りになったが、間もなく経済成長とともに旅行する人が増え、日本各地から、便利な新幹線を利用して静岡市を訪れ、宿泊する人がぐっと増えた。

ところが、新幹線の開通後40年も経つと、静岡市や浜松市は日本で最も便利な地方都市から、最も不便な都市に変わってしまった。札幌、金沢、高知、鹿児島等の人からみると、本県の都市は何れも実に不便なところにある。ここでイベントが開かれると、往復の時間がかかるので、どうしても泊まらなければならない。そのため、静岡市で大きなイベントが開かれた時には、ホテル不足の状態になり、部屋が取れない。

海外客にとっても、静岡市や浜松市は実に不便な場所にある。そこは成田から遠く、また近くの名古屋空港では海外便の数が少ない。私は静岡の学生を連れて上海に旅行したことがある。彼等は安く旅行したい。上海の大学の寮に泊まることにし、安い航空便を見つけたが、最大の問題は、東京までの新幹線の料金の高さであり、東京まで東海道線やバスを使った学生がいた。日本の中で、最も海外から遠くにある県は本県になった。

県内と東京・名古屋の間を生活圏にしたり、その範囲で経済活動している人にとっては、県内の都市は便利な住みよい場所であり、空港は不必要だ。しかし、時代は変わり、県内の企業や多くのサラリーマン・学者は国際的な活動をするようになり、県立大学には北朝鮮や中近東の現状分析で有名な学者が何人もいる。

本県のGDPは、タイ、フィリッピン等東南アジアの国より大きく、工業の生産額はスウェーデン等ヨーロッパにおける中規模の国のそれとほぼ同じだ。本県にはスズキ、ヤマハ、ヤマ発、浜ホトなど、世界的な巨大企業や先端技術企業群の本社や研究所が立地し、そこから、毎日、先端技術、先端情報、優れた製造技能を持った専門家達が続々と、海外における現地工場、提携先企業、大学・研究所に出掛けている。浜松地域の大企業一社で年間の海外出張者数は4000人近くに達している。また、海外諸国から、取引先の企業経営者や技術者だけではなく、外国人労働者やその家族も多くやってくる。本県は優れた農業県でもあるが、中国沿岸部のマーケットを開拓すれば、航空便を利用して、お茶や高級果物を高価格で輸出できる時代になってきた。

乗り継ぎで世界へアクセス

上海や仁川の空港に行くと、仙台、新潟、小松、広島、岡山、松山、長崎、大分、鹿児島等の地方空港行きの便が出発している。上海や仁川空港を乗り継ぎ地に利用すれば、これらの都市から、中国全土だけではなく、東アジアや欧米への旅行が便利である。日本の企業は、今後、中国や東アジアのマーケットを狙った工場移転と、現地への高級部品・素材や機械設備の輸出によって発展するので、本社と海外諸国との交通の便の良さは、経営上非常に重要な点になる。

本県には、新幹線と東名高速が走っていたから本社機能や研究所・工場が立地した。しかし、今や、国際的にみて数個の空港があってもおかしくない程の経済力と人口が存在しているにも拘わらず、空港が1つもない不便な県になったので、ハイテク企業は本社を移転するかもしれない。

静岡空港はアクセスの便が重要であるから、新幹線の空港駅はどうしても必要である。豪華な空港ビルや高層の駐車場は不要であり質素でいい。着陸料金を低くして、県民が利用しやすくし、かつ一刻も早く完成させることが重要だ。

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