静岡新聞論壇

2005年 

大蔵省の没落と行政改革

ミス続き金融危機招く

財務省は4年前まで大蔵省だった。かっての大蔵省は国家予算を実質的に決めうる知識と政治力を備え、「中央官庁の中の中央官庁」と言われた程強大だった。

歴代内閣は大蔵省の力を削ろうと努力し、そのための「行政改革」は、佐藤内閣の頃から始まっていた。実力政治家は、族議員として活躍し、地元のために予算を分捕った。

例えば、道路族議員は、選挙区の土建業者、経済人、地方議会議員と協力して、地元の道路予算の増額を建設省に陳情し、建設省はこうした政治の力をバックにして、大蔵省に道路予算全体の増加を要求した。大蔵省は、限られた財源の中から議員の要望にいくらか応じて恩を売り、大蔵省ファンを増やした。

90年代になって税収が伸びなくなると、大蔵省は予算の増額に代わって、財政投融資の資金を公団・事業団・政府系金融機関等多数の特殊法人に投入し、それによって族議員の要望に答え、同時に新規の天下り先を増やし職員の将来を守った。財政投融資資金は、一時、国家予算の6割にも達した。

ところが、1980年代後半以降、大蔵省の財政金融政策はミスの連続だった。まず円高対策として、超金融緩和政策を続けてバブル経済を引き起こし、その崩壊後には、金融機関に対して、不良資産処理の先送りを示唆し、結果的に、深刻な金融危機を発生させた。そうした時期に、ニューヨークにおける大和銀行事件処理の不手際、住専問題をめぐって農協救済を目的とした巨額な税金の投入、銀行やバブル企業からの過剰接待等、大蔵省の失政・汚職・腐敗ぶりが次々に明るみに出た。

90年代後半には、大蔵省は権限が及んでいない分野まで責任を負わされ、世間から激しく批判された。橋本首相は世論の支持を得て、「不退転の決意」で「行革」に取り組み、まず、金融ビックバン政策を実施して、金融規制の大部分を取り払い、さらに銀行に対する検査・監督の権限を金融監督庁に分離して、大蔵省の力を弱めた。

ところが、特殊法人では天下り役人が高給を取り、無駄な事業に膨大な資金が投入され、また政府系金融機関は膨大な不良資産を抱えたままだ。失敗例が多いにも係わらず、役人には責任を取った人は誰もいない。官僚批判の世論は強まる一方だった。

民が責任負う仕組みを

小泉さんは、「改革」を叫び、まず予算の基本方針を、経済財政諮問会議で決めるようにし、また閣僚から族議員を排除した。今回の総選挙で圧勝すると、まず郵政の民営化によって財政投融資の資金源を絞り、ついで資金の出口である特殊法人を減らし、さらに政府系金融機関の民営化や統廃合を実施するつもりだ。

族議員の多くは今回の選挙で消えたが、道路公団や郵政の民営化の内容は妥協の産物であるから、運用によっては、骨抜きされる可能性がある。それだから、有力政治家に改革実績を競わせて、小泉さんの後継者を決める必要があるのだ。

「民にできることは民に」という小泉改革は、時代の流れに沿っており、成功しそうだ。しかしそれによって、万事OKというわけではない。例えば、70才ぐらいまで働ける場所を創り、年金や医療費分ぐらい稼げるようにして、年金の支給を遅くすれば、財政破綻の問題は解決される。また事務所やソフトを製作する

工場が住宅地に立地し、男性に育児休暇を与えれば、少子化傾向は止まるだろう。

企業は競争力が低下するので、こうした要請を嫌うから、「民に社会的責任を負わせる」社会的・地域的な仕組み作りが必要だ。この課題を解決すれば、小泉改革が完成する。

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