静岡新聞論壇

2005年 

文化都市静岡、創造の好機

企業も銀行も「金余り」

日本経済には、大きな変化が生まれている。その1つは、企業の体質が強固になり、資金が余りだしたことだ。企業は、IT化によって人を減らした上に、正社員を契約社員・パートに置き換えて人件費を圧縮した。利益が増加するとそれを借金の返済に充て銀行等の借入金が激減した。さらに工場を海外に移転し、海外で売上げを伸ばして、利益を積み上げた。

そうした結果、企業の手元資金が増加の一途を辿った。本来なら、それらは設備投資に向けられるはずであるが、国内需要の伸びが鈍く、また、輸出については、海外経済に不安要因があるので、大きな伸びを期待できないので、企業は設備投資の拡大に躊躇している。また、銀行は優良な貸出先が見つからない。企業も銀行も金余り状態にある。

もう1つの変化は、2007年頃から団塊の世代700万人が続々と60才代になり、就業人口は約500万人ぐらい減りそうだ。彼等の多くは、経済活動に必要な技能、経験、人的ネットを膨大に蓄積しており、今後もそうした蓄積を生かしたいと願っている。

しばらくの間、企業では高い賃金の高齢者と安い賃金の若年者が入れ替わるので、利益がもっと増えるから金余りが続き、それと同時に経験豊かな人材が溢れるという時期になりそうだ。

それは、丁度、静岡市が政令都市として経済の自立的成長力を高めるべき時期と重なっている。静岡県は工業が非常に発達した県であり、その中心にある静岡市は、経済力で比較すると、当然、東南アジア諸国や北欧の首都と匹敵する風格を備え、内外の優れた人達が喜んで訪ね、また住みたくなるような文化都市であるはずだ。

静岡市の都市施設を見ると、美術館、劇場や音楽ホール、中央図書館、5つの大学、サッカー場、総合グランドが揃っており、美術館周辺の景観は国際的に見て一級品であり、また、お堀の周辺や繁華街の景観も素晴らしい。しかし、残念ながら、それらがバラバラに配置され、統一性に欠けるため、市の風格を高めるに到らない。

もし、それらの施設が、心地よい公的交通機関で結ばれ、緑と水が多い低層の街並みが形成されて、カラフルな看板が消え、統一的な景観がつくられば、文化のインフラが整ったといえる。増加する60才代の人達は文化的産業の分厚いお客になるだろう。文化的な街の形成には、欧米の大学都市や文化都市で長く生活したことがある人の意見が重要だ。

専門的知識の人材過剰

静岡市には、浜松市に較べるとかなり劣るが、それでも、大小様々な企業の本社が立地しており、今後、研究開発、企画、販売、海外生産等の分野のベテランが続々定年になっていく。その中には、海外生活が長い人、都市型産業で生涯を過ごした人、研究開発型文化都市のイメージを暖めている人等が多くいるはずだ。

彼等にはパソコンを操れる人が多い。市当局がネット上に、静岡市の街づくりサイトを開き、そこの掲示板にこういうベテラン達に意見を書いて貰い、時々オフ会を開いて議論を重ねれば、素晴らしいアイデア、具体的プランが生まれ、また 学者・研究者・芸術家等が気軽に集え、かつパソコンが使える喫茶店やバー等の起業を試みるグループができるかもしれない。

県内には優良な金融機関が揃っており、彼等も加われば、議論の輪が広がり、そこで新企業や新プロジェクトに関するのフィージビリティーも検討され、資金を供給するチャンスが増えるだろう。金余り、専門的知識を持った人材の過剰、パソコンの浸透は、文化都市静岡を創造するチャンスである。

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