静岡新聞論壇

2004年 

サッカーと大学改革

縦割り行政の弊害排除を

行財政改革で、最も必要なことは、縦割行政の弊害を排除することだ。地域という考え方を入れると、縦割行政の欠点がよく判り、改革の方向を見出すことができる。

一例をあげてみよう。清水がサッカー都市になれたのは、優れた1人の指導者(小学校教師の堀田哲爾氏)の力によって、小学校から独立した地域の少年サッカークラブが生まれたためだ。小学校の課外活動でサッカーを教えるのは無理である。小学校の先生のなかに、サッカー指導の専門家がいるわけではない。しかし、仮にいたとしても、間もなく転勤してしまう。清水では、地域のサッカークラブで指導者教育を受けたサッカー好きの先生、父兄、住民が、夕方小学生に教えるのである。指導者教育は、毎週一回、夜1時間、小学校の教室で行われた。指導者は住民であるから転勤しない。

清水では、昭和40年代にサッカークラブが小学校の学区ごとにできた。小学校はクラブに夜の校庭を開放し、ナイター設備をクラブ負担で備えることに同意した。各学区のクラブから優れた選手が集められて清水FCが生まれ、昭和40年後半から、世界のサッカー強国に遠征した。費用は父兄負担だった。この遠征ティームから、日本のサーッカーを代表する選手が続々と生まれた。

清水出身や清水で教育を受けたJ1リーグ選手は累計で、120名を超した。世界のどの国でもスポーツの中心は地域のクラブであり、清水のサッカーは日本のどの都市よりも早く、小学生だけであるが、その組織を作り、大成功を収めた。

どの地域でも、主たる広場は学校の運動場である。しかし、それは学校によって管理され、塀を張り巡らされ、原則として、地域の住民は使えない。文部省や学校関係者が国公立の校庭を独占するのはおかしい。当然、納税者たる国民や住民にも利用を認めるべきだ。早稲田大学では、運動場を地域住民に開放し、NPOをつくり、大学の運動部の選手が子供や住民に指導している。寄付を集め、会費を取り、人件費等のコストを賄っている。私立が率先して学校改革を進めている。

これは、運動場ばかりではない。現在、求人が多いが、求人条件を満たせる求職者が少ない。つまり、労働需給にミスマッチが発生している。社会人には、ハイテク時代に相応しい能力が要求されている。また、今後の老人はパソコンを操作できなければ、生活できない。地域における大学の重要な任務は、社会人教育であり、それが地域社会への貢献だ。

公共施設、地域に取り戻そう

ところが、国公立の大学の図書館は午後7~8時には閉まり、それ以後、沢山の本やパソコンが眠っている。教育を望んでいる社会人が多くいるのに、立派な教育施設が活かされていない。昼間もガラガラな大学もある。大学が立地している都市には定年になったが、まだ、働けるスペシャリストが多い。パソコンのスペシャリスト、外国駐在が10年以上の国際通、金融・財務の専門家、建築家、金融のプロ、起業のプロなどがいるはずだ。

教育を受けたい顧客、先生の能力をもつ専門家、教育施設が揃っていながら、多くの大学は文部省の指導に沿い、専ら学者・学生の都合を優先的に考え、住民の要求に関わろうとしない。もし、この縦割システムの枠を外し、大学施設の夜間や昼間でも空いている施設の運営を、地域のNPOに任せたならば、レベルの高い社会人教育が行われ、地域の経済力は高まるに違いない。また、希望する学生も、参加できるようにすれば、地域の社会人と学者・学生との交流が始まり、教育内容が深まるはずだ。

以上は1例であるが、縦割の考え方を排除し、公共施設を地域の立場から1つ1つ検討して、住民の手に取り戻すことこそ地方分権である。

ページのトップへ