静岡新聞論壇

2004年 

ソフトな社会

個人技能高める若者増加

社会の変化が激しいので、若者も老人もそれに応じた新しい生き方を探している。

つい最近まで日本には強い集団主義が残っていた。大家族制の基礎は農村にあったが、1960年代から農村人口が流出して、企業に吸収された。企業には年功序列・終身雇用の慣行があり、従業員は企業に対して強い帰属心を持って、定年まで働くことができた。農村から流出した若者達は、企業の集団主義のなかで安心して生活した。

ところが、1980年代後半からグローバリゼイション化によって、国際的スケールの激しい競争が始まり、また90年代後半から金融の大規模な規制緩和いわゆる「ビッグバン」が実施されて、金融の中心は直接金融にかわり、企業の価値は専ら株式市場で評価されるようになった。

企業は従業員の福祉より、株主の利益を重視して、容赦ないリストラを実施した。景気が回復しても、本社員を増やさず、人材派遣業、パート、臨時工を増やすだけである。つまり、年功序列・終身雇用の慣行が弱まったので、サラリーマンの人生にはリスクが多くなった。

若者はいろいろな対策を考えている。何処でも通用する技能を身につけるために、まず国家が認定した資格を取っておきたい。そのため大学と資格受験の専門学校とのダブルスクールの生活を送る若者が増えた。技能を持っていれば、リストラされても、新しい職場が見つかる。

すでに、高度な技能を身につけた人は、古いタイプの組織を離れ、個人の力によってグローバルな活躍ができる分野に移っている。華やかな例を挙げれば、中央官庁やメガバンクを辞めて、外資系のファンドのアナリストになる、新型の再生ファンドを設立する、といった人が多くなった。反官僚の感情が国中に広がっているので、今後官庁の権限が狭くなり、働きがいがなくなるだろう。メガバンクの将来も明るくない。古い組織にそのままいれば、リストラされるかもしれない。

若者から高齢者まで市民活動に参加する人が増えた。環境、医療福祉、教育・子供関係、食料の安全などいろいろな分野で市民活動が盛り上がり、実のあるNPOが多くなった。彼等は、企業社会に代わる新しい帰属集団を個人的に模索しているようだ。

柔軟な帰属集団を模索

現役を引退した年配者は「シニアネット」に加わって「井戸端会議」や「床屋談義」を楽しんでいる。そうした中から、パソコン指導、地域の介護、リサイクル等のボランティア活動がうまれ、新しい熟年コミュニティーの根が広がっている。

癌等の難病に苦しんでいる人達は、ボランティアの患者が「患者の会」を組織して、頻繁にミーティングを開いて、心の持ち方、新しい治療方法の体験、漢方薬の体験、ケアが優れている病院、家族との関係などについて話し合っている。インターネットによる会もある。

日本の集団主義の歴史は長かった。水田農業では、水管理に集団の力が必要だった。徳川時代の藩も、明治以後の官僚や企業も、集団的な意志決定を行い、個人は集団に強い帰属心を持ち集団とともに生きた。

ところが、グローバリゼイションやビックバンとともに、集団主義の基盤が崩壊し、私たちは個人として生きなければならなくなった。それはあまりにも急激な変化だったから社会的な不安が高まり、家庭内暴力、発作的な凶悪犯罪、自殺等が増加した。しかし、多くの人は新しい生き方と柔軟な帰属集団を懸命に模索し、ようやく「生き甲斐探し」に成功しつつあるようだ。不安が解消すれば、個人消費が拡大し、また熱心に働ける人がふえるので、日本経済は成長力を取り戻すに違いない。

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