静岡新聞論壇

2004年 

景観法と地方自治意識

絶景だった駿府城下

「東海道ルネッサンズ歴史とロマンを探る」 
よりお借りしました。クリックすると大きくなります。桐敷氏想定より作成の想像図ということです

江戸時代の後半における日本では、素晴らしい景観をもった都市や街道が多かった。当時、日本を訪れたヨーロッパ人には、樹木に覆われた城下町、花に囲まれた民家、街道沿いに展開する美しい風景に驚嘆したという記録を残した人が多かった。

その頃、東海道を西から来て安倍川を越して、正面を見ると、駿府城の背景には、庵原の山々越しに富士山が聳え、前景には、武家屋敷の樹木が広がり、近づくと深々としたお堀があり、絶景だったという.現在でも、静岡市の中心部の景観が優れているのは、その名残である。

明治以降ごく最近に至るまで、政府は、国民の生活環境のなかに統一した美的秩序を創ろうと努力したことがなかった.殖産興業、高度経済成長、モータリゼイション、流通革命など政策が優先され、日本文化の根元を形成する景観がないがしろにされ、破壊された.

最近まで、農村や漁村には、伝統的な景観が残っていた。例えば、山里では、幾重にも重なる稜線、樹木のざわめき、川の流れ、神社、農家、田畑、人影が一体となって、生活感ある景観が展開されていた。しかし、過疎化が進展して、日本固有の文化が消滅しつつある。

最近、音楽や絵画等の文化を楽しむ人が増え、プロ並みの腕を持つアマチュアの層が厚くなり、確かに日本は文化国家になったといえる。豪華な美術館が日本各地にできた.ところが、一旦、美術館をでると、直ぐ惨めな町並みが始まり、どの家も、形や塀・壁の色がバラバラであって、刺激的なカラーの大看板が到るところにある。また自動車が狭い道まで遠慮なく入ってくる。芸術的感動の余韻が一挙に吹き飛ばされる。

日本では、多くの都市が統一した景観を欠け、また、水辺(噴水も含む)、樹木、公園が少ないので、生活を楽む空間がない。私たちは、自宅の小さな庭に草花を植えるとという悲しい生活をしている。

もし、私たちが、住宅は公共財だという考え方に変われば、美しい都市景観が生まれるに違いない。小さな庭を塀で囲むのは止め、その代わりに、庭を家の前に移し、塀をなくせば、家並みに沿って広々とした庭が続く美しい景観が現れる。

そうなると、家の前の道は、立ち話をしたり、そこのベンチでくつろげる場所にかわり、景観を乱す変な格好をした建物やどぎつい看板は絶対に許せなくなる。住民はお互いに生活の気配を感じながら生きているので、犯罪発生の可能性は低くなり、塀がなくても安全なコミュニティーが復活するのである。

道はその地域の廊下

自治の長い歴史を持つているイタリアやスペインの中小都市では、道はその地域の廊下であり、道沿いに点在する小広場が居間であり、個人の家は部屋だという構成になっている。西ヨーロッパの中小都市の繁華街では、自動車乗り入れ禁止が多く、乗り物は電車中心に変わってきた。市民が繁華街をモータリゼイションから守ったと言える。商店主は店に住んでいるから.早朝から生活の匂いが満ちている。

最近、川越市、内子町(愛媛県)、小布施町(長野県)を始め、景観作りに成功した自治体が少なくない。そこでは、強力なリーダーが、「誇るべき伝統的な景観を掘り起こし、それを生かすことこそ、日本文化の復活だ」という一種の思想運動を展開して、地域住民の意志をまとめ、統一した景観を再現した。

「景観は地域の風格を決める文化財であり、それを創れるのは地域住民だけだ」という認識が広がった。今月から、景観法が施行され、自治体が任意に地域を指定すれば、建物の高さ、デザイン、色彩を制限して、景観を創造することがきる。これが草の芽の地方自治意識を強め、間もなく、景観によって、地方の優劣が判断される時代に変わるだろう。

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