静岡新聞論壇

2004年 

大学の強敵は専門学校

ダブルスクールの生活

大学の目的は教育と研究にあるが、教育に関では、専門学校との競争に負けている。神田・お茶の水周辺では明治大学を始めとして、大学が校舎の大型化投資を実施しているが、それよりも、はるかに早いスピードで校舎を拡大しているのが専門学校だ。

そこでは、司法試験、公務員試験、会計士、税理士、宅建等、多様な資格試験のための夜間の学習コースがある。多くの学生達は将来の生活設計を考え、大学と夜間専門学校のダブルスクールの生活を送っている。神田はダブルスクールに便利な土地であり、そのために、この周辺に立地している大学は人気が上がっている。また、秘書、デザイン、コンピューター・グラフィック、インテリア、マスコミを始め、多様な全日制の専門学校が多くなった。大学を卒業した後に再入学する学生が多い。

大学には、つぎのような問題があるから、専門学校との競争に勝てない。先ず、教養教育の問題だ。振り返ると、明治維新後の薩長政権は田舎出身が多かったので、江戸や京の文化に対抗するため、輸入文化を取り入れ学んだ。かっての教養人が愛した岩波文庫の半分近くが翻訳の文学や哲学だった。ところが、現在では、日本は経済大国になり、またアニメ、J-POP、日本・ファッション等の日本文化が国際的に高く評価され、輸入文化を尊重する必要がなくなった。教養は生活の中で身につけるものであるにも拘わらず、大学に教養的科目が残っている。

つぎは、「大学自治」の精神であり、その結果、大学には組織としての長期計画や年度計画がない。働き方は教員の自由に任せられている。また、教育の成果を評価するシステムが欠けている。学生が、講義によって、どの程度、知的刺激を受け、知的判断力が高まったかを測定できない。

これに対して、専門学校では、教員の教えるべき内容が明確に決められている。資格試験のコースで云えば、成果は資格試験の合格率である。組織の長期目標は合格率の向上であり、この目標を達成するために、毎年教え方や教科書が改良される。教員の多くはサラリーマン経験者であるから、マニュアルに従って働き、毎年、成果を反省して、マニュアルを改正するという作業に慣れている。そもそも学問に携わる仕事とは思っていない。試験の回答技術や、専門技術・技能を教えているだけだ。

危機は内部の体質から

大学が大衆化するとともに、社会人になる準備として、入学する学生が多くなった。しかし、彼等が特別な資格や専門的技能を習得するためには、改めて専門学校にいかざるを得ない。大学には、それを教える能力や技術がないからだ。法科大学院は司法試験のための専門学校である。2つの大学が、専門学校との全面提携による法科大学院設立を狙った。文部省は、大学院と専門学校とは違うと怒り、認可しなかった。しかし、多くの大学は、1部の講義を専門学校に委託したい、1部なら良かろうと、考えている。

大手の専門学校は、分校を全国の主要都市に展開している。教室が都市中心部のビルの中にあるから、ダブルスクールの学生には便利だ。なかには、スポーツ教育にも乗りだし、遂にJリーグのティームを創った専門学校がある。日本の大学の強敵は、アメリカやオーストラリアの大学よりも国内の専門学校になった。

専門学校は成長分野に係わる専門教育をつぎつぎと傘下に収めている。

長い間文部省から規制と保護を受け、それにすっかり慣れた大学と、保護が全くなかった専門学校と競争すれば、他の産業分野と同じように、保護がない企業つまり専門学校がが勝つだろう。大学の危機は内部の体質から生まれているように思われる。

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