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4月20日
日銀総裁と財務省
大蔵省の政策ミス
財務省は日銀のポストを失った。日銀総裁は、第20代の山際総裁から第28代の速見総裁まで大蔵省(現財務省)と日銀の出身者が交互に就任し、日銀出身の福井総裁の後は、当然、元財務次官の武藤前副総裁が昇格するはずだった。民主党が問答無用のように候補者を3回も拒否したのは世間の批判を受けたが、大蔵省出身者を拒否するという原則に反論する人が少なかった。
大蔵省は過去何回も大きな政策ミスを冒した。日本経済の「失われた10年」もミスの結果だった。かっての大蔵省は独裁国家の官僚のように強大な権限を持ち、金融機関を奴隷のように厳しく管理した。銀行、長信銀、信託、証券はそれぞれ業務内容や金利が細かく決められ、支店の数や店舗の広さからカレンダーの大きさまで干渉され、自由な経営が禁じられた。その代償として、金融機関は倒産しないというメリットを得た。それは「護送船団方式」の金融行政といわれた。
ところで、大蔵省は、80年代に入ると、アメリカの要請に応じて金利の自由化政策を進めた。85年から急激な円高になり、内需の拡大が必要になった。しかし、大蔵省は財政再建を優先したので、日銀がその尻ぬぐいのために、金融大緩和政策を実施した。
金利の自由化政策によって、金融機関の業務の塀が低くなった時、金融大緩和政策が実施された。その結果、大量な資金が鉄砲水のように金融機関に流入し、金融機関は逃げ惑い、生き残るために不動産融資を拡大したので、バブル経済が発生した。大蔵省は地価の上昇はインフレではない、日本経済が成長して土地の価値が上昇したのだと誤認して、暫くの間、成り行きに任せた。
バブル経済が崩壊した時、銀行に巨額な不良債権が発生した。大蔵省は、公共事業を大規模に拡大したが、景気が回復せず、銀行の経営は悪化する一方だった。
銀行の不良債権が一旦膨張すると、「貸し渋りと貸し剥がし」が強まり、不況が一層進み、不良資産はさらに増える。現在のサブプライムローン問題もそうした経由を辿っている。
97年の秋、大蔵省は銀行倒産が避けられないと判断するや、それまで銀行を潰さないという原則に沿って、決算まで指導するという行政を突然中止して、責任逃れのように決算を銀行に任せた。市場では銀の経営内容について不信が深まり、信用不安が拡がって、深刻な金融危機が発生した。不幸なことに、大蔵省は銀行が倒産した場合の制度的準備を全く検討してこなかった。
追及なき行政責任
幾つかの銀行が倒産すると、企業に資金を供給するパイプが一挙に詰まり、企業の倒産が激増した。外資ファンドが、このチャンスを生かして、二束三文で倒産銀行や倒産企業を買い叩き大儲けした。その間大蔵省は、何の対策も取れなかった。90年代の長い経済低迷期に就職できなかった若者の多くは、技能を身につける機会を失い、ニートに転落して、現在でも浮かび上がれない。公共事業の拡大政策に乗って、大きなハコモノを作った地方自治体は、維持費の負担が重くのし掛かり、破産状態に追い込まれ、現在、住民の生活が困窮している。不良債権の山を築いた銀行経営者の一部は訴えられて有罪になり、また膨大な損害賠償金を要求されている。
これに対して、財政政策や金融行政の責任者は、公務員であるという理由によって、責任を全く追求されず、退職後、大学教授になったり、天下りによって平穏な生活を送っている。彼等が謝罪しない限り、国民は機会を捉えて陰鬱な報復を続けるに違いない。日銀総裁事件は、そうした怨念に沿った動きのように思える。