静岡新聞論壇

11月9日

反日運動の背景は大卒過剰

不満発散の絶好の機会

成都、重慶、蘭州、長春、西安など、内陸部の大都市で反日デモが発生したが、中国政府はやんわりと押さえ込んだ。デモの中心は就職難の大学生だった。
中国は10年少し前からハイテク産業の育成に乗りだし、大規模な人材育成に着手した。政府の号令のもとで、すべての省は競って大学を拡充した。既存大学は定員を増やし、短大は大学に昇格し、沢山の私立大学が認可され、いろいろな奨学金制度が設けられた。大学生の数は、10年間で実に8倍に増え、大学進学率は4%から23%に上昇し、普通の国民の子弟が大学に進学した。

中国は教育熱心な國であり、どの家庭でも、生活を切りつめて子弟を大学に入れようとする。年間学費が80万円以上もかかるが、農村からの進学者が増え、大学生の過半を占めた。

ところが、中国経済が急成長していると言っても、経済発展が遅れている内陸部では、激増した大卒者に相応しい職場が不足し、内陸部の大学では就職率が60%を割っている。

上海等の沿岸地域の大都市では、単純労働の需要が多く、その賃金は5年間で2倍近くに上昇した。しかし、地価が急上昇して、家賃が高くなり、また市民の生活水準が上がったので、生活費は2倍以上に上昇し、生活が苦しく、ストライキが起きるほどだ。内陸部の大卒者は、沿岸地域の大都市で単純労働に就く気になれない。

そのため、内陸部の大都市では、昼間から不安な若者が街に溢れるという状態だ。周辺の農村出身の大卒者は大都市に残り、職を探しをしている。大卒者が供給過剰であるから、職探し人口は増える一方である。

尖閣列島問題は、彼等の不満を発散する絶好の機会だった。中国人船長が日本の警察に逮捕され、裁判にかかるというのだ。大部分の中国人は反日的である。日本は20世紀前半に、国辱的な21箇条条約を突きつけ、その後、全土に侵攻した。その歴史は全国民にしっかり教えられている。内陸部の大都市の反日デモが、ネットを通じて呼びかけられ、大学生はそれに応じた。

反日デモは大学生の不満の捌け口だったから、それを放置すると全国に拡がり、やがて反政府デモに変わり、民主化を要求しそうだ。しかし、もし、中国に民主的な政治システムが導入されると、中國が分解する恐れがある。

対日強硬策で時間稼ぎ

中国は、1つの世界と言うべき程広大であり、地域により言語、料理、風俗が全く異なり、また、ウイグル、チベット、朝鮮、蒙古等の少数民族は固有の文字を持っている。中国はバラバラな地域と多民族の集合体であって、国家として成り立つには、地域や民族の対立を抑えつける独裁的な権力機構が必要だった。

中国史は内乱・内戦の繰り返しであり、その都度、強大な独裁政権が生れ、国を統一した。近代中国をつくった国民党政権も一党独裁だった。中国政府は深刻な民族問題や地域問題を抱えているので、何より民主化を恐れている。

時代が変わっているから、デモを弾圧できない。独裁政権は言論統制しているので、不満が蓄積され、突然、暴動が起す可能性がある。そのため、中国政府はデモを辛抱強く管理して消滅を待った。それと同時に、反日デモの頻発は尖閣列島奪還を支持する世論の反映であることを内外に印象づけた。巧みな戦術である。

大卒の失業問題の解決には、内陸部の経済成長と、失業保険や医療保険の充実が必要であるが、直ぐには実現できない。政府は対日強硬策を続けて、若者をなだめて、時間稼ぎをしたい。日本もアメリカも経済力が衰えたので、反撃できない。日中の領土対決は、長く続くだろう。

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