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5月13日
沖縄の恨み
民主党の山岡国会対策委員長は、「普天間基地移設問題は、雲の上のことで、直接国民生活に影響しない」と発言し、沖縄県の人を激怒させた。
沖縄の歴史は、ヤマトンチュウ(大和人)による圧政の歴史だった。江戸時代には、薩摩藩は琉球王国に重税を課した。明治維新後すぐに、明治政府は琉球王国を日本に編入し、日本語を強制し、小学校では琉球語を話すことを禁止した。
2次大戦中には、日本政府は沖縄の陸上戦で20万人の市民を見殺しにしたが、本土に原爆が落とされるや否や、すぐに降伏した。沖縄は、非道く差別された。
首里城は日本軍が立て籠もったため、米軍に激しく砲撃にされ、完全に破壊された。首里城は琉球王国の魂であって、それは日本人にとっての京都御所のような処だ。日本軍はまさか京都御所の中に本部を置かないだろう。
米軍占領下では、「沖縄円」の為替レートは、「日本円」の約三倍に決められた。朝鮮戦争の時、巨大な米軍基地が建設され、その資材や建設機械は、円安の下にある日本企業に発注された。日本経済は朝鮮特需によって見事に復興し、まるでその代償のように、沖縄は基地経済に転落した。
沖縄は戦後27年間も米軍の占領下に置かれ、日本ではないから、本土に来るにはビザが必要だった。沖縄政府はアジアの石油基地を目指し、アメリカの石油会社が進出を計画していた。その時、本土復帰が決まり、通産省は早速石油業法を適用して、この計画を不許可にした。 日本政府は、過去の罪を贖おうと、沖縄に莫大な公共事業費を投入し、立派な道路や橋をつくった。海洋博の開催した。
こうした結果、沖縄県は、補助金の窓口となる県庁など役所産業、公共施設を建設する建設業、基地産業の3つの産業だけの貧しい県になった。 沖縄の人は、貧しさを逃れるために、昔から海外に移住し、移民の数は沖縄県民とほぼ同じになった。世界各地で「ウチナンチュ」(琉球人)大会が開かれ、英語とスペイン語が飛び交っており、沖縄の人は国際人である。
沖縄が本土復帰する時には、沖縄の識者の間では、1,日本に復帰する、2,独立する3,中国の一部になる、4,アメリカの一州になるの4案が検討された。琉球王国の末裔としては当然の検討だろう。
沖縄県には、沖縄が抱えるのは地域問題ではなく、民族問題だと主張する人が少なくない。沖縄では、宗教も、歌や踊りのリズムも、食事も、生活のテンポも、本土と違っている。琉球人は少数民族だから、長く抑圧・差別され、現在も米軍基地を押しつけられているという。山岡委員長は基地問題は生活と関係ないと、まるで沖縄本島の人は日本国民ではないかような言い方だ。
鳩山首相は、沖縄県民の気持ちを理解しいるかのように基地の国外・県外移転を約束した後、短期間でそれを取り消した。政府はキャンプシュワブの沖合基地建設にともなって、膨大な建設需要が発生するから、反対は結局収まると考えているらしい。
首相が軽い発言を繰り返し、山岡委員長が非道いことを言った。県民は心から怒っており、基地の一部を徳之島に移転したぐらいでは駄目かもしれない。