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7月4日
電子工学大国から転落の日本
アジア諸国が台頭
日本最大のDRAM(記憶機能の半導体)製造企業のエルビーター社は経営危機に落ち込み、改正産業再生法(今年4月に制定)の適用を最初に受ける企業になった。政府金融機関は民間銀行と協力して合計2000億円を投入し、管理下に置くことにした。
エルビーター社は日立、NEC、三菱電機の大企業3社のDRAM部門を合体して10年前に設立された。それはDRAMのコスト引き下げには莫大な設備投資が必要であり、各社バラバラな投資ではとても韓国に勝てないからだ。昨年からの世界大不況のもとで、国際的な価格競争が一段と熾烈になり、韓国のサムソン、パイニックス両社とエルビーター社との格差は拡大する一方だった。
日本が、国際競争に敗れたのは、DRAMだけではない。フラッシュメモリー、液晶パネル、マイクロプロセッサーのような重要部品から、携帯電話、パソコン、テレビまで敗退している。かっての日本は、向かうところ敵なしのエレクトロニクス大国だったが、今や周辺国との国際競争に破れるエレクトロニクス小国に転落し、業界の大企業が政府の援助を仰ぐ時代に変わった。
エレクトロニクス産業では追いかける國が有利だった。半導体について日本が1970年代に、韓国や台湾は90年代、中国は2000年代から大型投資を展開した。日本には現在、小型で古い工場が各地に分散しているが、韓国や台湾の大企業は一カ所の大工場に新鋭設備を集中し、低コスト製品を大量生産しているので、日本の企業は勝てない。
また日本には奢りがあった。日本人には過剰品質の製品を好む癖がある。携帯電話には写真メール、テレビ、決済、位置確認等の機能が加わり、テレビは超薄型・超大型になり、2つの番組を同時に見たり、録画したりすることができる。普通の國では携帯電話は通話、テレビは受像とビデオ再生機能で充分であり、選択基準は専ら価格だ。世界には国際価格の数倍も高い日本製品を買う人は希だ。
私達はアジア諸国の所得が上がれば、高品質な日本製品を買うと考えたが、彼等の価値観は日本人とは違っており、所得が上昇しても日本製の携帯電話やテレビを買おうとはしない。日本製品は国内でしか売れなくなった。
日本の大企業では、高品質な製品を作るために、設計、部品の生産、組立を垂直的に進め、その間に細かい摺り合わせや微調整が行われている。テレビでは、同じ企業が半導体からディスプレイまで生産し、世界で最も美しい大画面をつくった。
慢心が失敗の元
アメリカ、中国、台湾では日本と正反対な作り方である。台湾のA社は、アメリカの企業から半導体の設計図を受け取り、受託生産している。B社は、アメリカの企業から半導体について必要な機能だけが指示され、設計から生産まで一切を受託している。C社は中国の企業から、携帯電話について備えるべき機能が指示され、設計と生産が任され、生産を中国の企業に発注している。彼等は細かい品質を苦にしないので、世界的なスケールで国際分業を展開できる。
台湾の企業は、エレクトロニクス産業の特殊な分野に専門化し、全世界から受注するので経営規模が大きくなり、技術蓄積は国際水準を抜いた。
日本は韓国企業が半導体設備に大規模な設備投資を行った時、その主要機械は全て日本から輸入品だったので、所詮日本の物真似に過ぎないと軽く考え、台湾企業が高級な半導体まで設計・生産するようになった時、所詮アメリカ企業の下請けだと問題にしなかった。慢心が日本の失敗の元であり、私達にとって、いろいろな國の人の趣向と現地企業の創造力とを謙虚に理解する姿勢が何よりも必要だった。