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5月21日
マルクス主義の復活
不況脱出 責任は政府に
大内力さんが4月に90才で亡くなり、マルクス経済学の最後の火が消えたように見えた。彼の父・大内兵衛は1920年代にマルクス主義財政学のリーダーになり、38年には反ファシズム戦線に加わったという理由で検挙され、東大を追われた。敗戦後、東大に戻り、戦後混乱期にインフレ抑制政策を提言し、また第1次吉田内閣では吉田首相から大蔵大臣就任を強く要請されたが、「学問をしたい」という理由で断った。
力さんもマルクス経済学の東大教授であり、農業経済の権威だった。60年代から70年代にかけて政府の幾つかの重要な審議会の委員や会長を勤め、国家政策に影響を与えた。しかし、日本が70年後半頃から先進国経済に移るとともに、マルクス学者・大内親子の活躍の場が消え、両人とも瞬く間に過去の学者になった。
ところが昨年からマルクスの資本論が売れ始め、マルクス主義の解説書が幾つも本屋の店頭に並び、総合雑誌にマルクスに関する論文が載り、マルクス主義が復活してきた。
マルクスの理論によると、資本主義社会では、すべてが商品化され、価格が付けられる。商品になった労働力の価格は賃金だ。不況の時、企業は商品の販売価格を下げ、同時に労働力の購入価格を引き下げようとする。しかし、人間には矜持があるから自分を安く売らない。賃下げには応じられないのだ。
その結果多くの企業は危機に追い込まれ、倒産が拡がる。労働者が人間であるから、不況が一層深刻になるというのだ。企業は危機を克服するために、新技術を開発するから、景気が浮揚する力が生まれる。
マルクス主義の立場から現在の日本経済を考えると、非正規社員は解雇を、正規社員は賃金カットを拒否すべきだろう。それは人間として当然の行為だ。その結果不況は深刻になるが、それを救うのが政府の仕事であり、もしそれができない時には、社会主義政権に変わるべきだということになる。
政府は4月に超大型の景気対策案を決めた。その特色は、中小企業の救済、大企業の解雇阻止、失業者の救済・職業訓練、子育て支援等の緊急対策にある。また太陽光発電設備や電氣自動車等の新製品の開発を助成し、景気底入れ後、安定した経済をつくるというのだ。政府は責任を果たそうとしている。
現状はまさに「社会主義」
その際、資金の裏付けは、財政資金の15兆円と国営銀行の3兆円の融資によっている。また景気の回復には銀行の活発な融資が必要だ。しかし多くの銀行は不良資産の増加と株価の低落によって経営が苦しく、貸し渋りが拡がっている。政府は銀行救済を決めた。金融庁は公的資金を投入した銀行の経営に介入し、一種の国家管理の状態に置いている。
現在の政策は国家が経済に介入し、官僚が力を発揮するという点で、大内親子が想定した社会主義政権の政策とそっくり同じだ。大内親子は社会主義国家への発展を夢見ていた。しかし政府は政治家主導、自由経済、規制緩和のモットーを掲げている。国民にとって、自民党の思想体系がはっきりしない。民主党も、その点については同じである。
アメリカでは幾つかの大型金融機関やGM、クライスラーは国家管理の下に入り、新しい混合経済が生まれた。しかし変革を主張したオバマ大統領が選出されたので、自由経済か国家介入かといった社会思想上の問題は事実上棚上げされた。
最近、資本論の他カラマゾフの兄弟、蟹工船、論語、般若心経の解説書等、社会思想や生き方に関わる本が売れ、和歌・俳句・5行詩の愛好家が増え、女性はシンプルな服装に変わり茶髪から黒髪に戻った。それは国民が自由経済か混合経済かの選択に迷い、歴史を振り返り、静かに思索しているからだろう。