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8月16日
長寿社会の安心と安全
共同体意識が崩壊
中越沖地震の後、原発は安全だと思いつつ、やはり安心できないと感じた人が多かった。東電の柏崎刈羽原発では、予想した最大の揺れの2倍以上を記録したが、発電炉が無傷だった。それは日本の原子力関連技術が優れている証拠であり、これから、耐震基準がもっと厳しくなるから、原発は一層安全になるだろう。
しかし東電は事故隠しの常連だから、今回も被害を隠しているかもしれない。発電炉容器の内側にひび割れが走っている可能性がある。内部のクレーンが破損しているので、発電炉が無傷であるかどうか観察できないはずだ。活断層の調査については手を抜いたらしい。疑い始めると切りがないが、やはり原発は危険であり安心できない。
安全と安心の境には信用問題が隠されている。現在の日本は安全な社会であり、例えば、大型台風による死者数は一桁である。50年前には、「一吹き死者千人」と云われたものだ。生活の安全度について、主要工業国と比較すると、日本は人口当たりの交通事故死数や殺人発生率では最低であり、平均寿命では最高である。
それにも拘わらず、私たちは安心して生活しているわけではない。それは困った時親身になって助けてくれる人がいないからだろう。昔は大家族で助け合い、村落で支え合った。都会で職を失っても、故郷に帰れば、何とか生きていけた。老人は独特の知恵や技能を持っていたので、共同体の中の居場所があった。
ところが、現在では大家族や村落という共同体が消滅し、企業では転職者、中途採用者、契約社員が増え、共同体意識が崩壊した。景気が下降すると職を失う不安があり、下手をするとホームレスに転落するかもしれない。農村や山村では建設業、役場、農協といった働き場所が減る一方だ。
長寿社会の老後には、配偶者を失い、介護してくれる人も、話し相手もいない孤独な生活が待っているかもしれない。働ける人の割合が次第に減るから、経済が停滞し、老人は貧しい生活を強いられそうだ。
そうした不安を取り除くためには、国家が共同体に代って困った時には必ず助けてくれるという信用が必要だ。ところが、今や国家に対する信用が低下し、東電以下になったらしい。と言うのは、官僚が堕落して、国民の利益よりも権限の拡充や天下り先の拡大を優先的に考え、自分たち生涯所得を守ろうとする姿勢が目立つからだ。
政治家主導も信用できず
官僚政治が生み出した典型的な欠陥例は社会保険庁の腐敗であり、そこでは年金の管理が手抜きされ、年金がグリーンピア等に勝手に使われ、秘かに私的に浪費した人もいる。こうした犯罪的な行為に対して、公務員は「政府は無謬である」という原則によって、誰も責任を取らなくて済む制度の中にいる。国民は責任をとろうとしない官僚国家を信用しないのは当然だ。
官僚国家は欠陥が多いから、政治家主導の国家に変わるべきだと思い、国民は小泉改革に夢を託した。ところが安部内閣に変わると、選挙区に無駄な林道を建設するために巨額な財政資金を投入する仕組みをつくった人が農水大臣に就任した。政府は社会保険庁の言い逃れを真に受けて、年金問題の抜本的な対策が遅れた。
こうした結果、政治家主導の国家も官僚国家と同じように信用できないという見方が急速に拡がった。最近、景気は確かに上昇し続けて、正規社員が増え、また賃金が増加している。しかし、将来に対するぼんやりした不安が消えないのは、そのためだ。民主党はこの不安に乗じて大勝したが、政権を取るためには、国民の信用を得ることが大切だ。高齢化社会の国民は信用できる国家に住み、安心したいのである。
(以上)