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3月29日
電力会社の隠ぺい体質崩壊
原子力発電は40年の歴史を持ち、今や、全発電量の30%を占めている。原子力発電の最大の問題は安全性にあり、発電所の職員は、事故を事前に察知し、すぐ対応できる技能を身につけなければならない。
40年間で発生した大事故は、04年の関西電力・美浜発電所における2次冷却系の配管破裂であり、5名の犠牲者が出た。この配管については、建設後28年間一度も検査されなかったので、誰も腐食に気づかなかった。 放射能漏れの事故ではないという点で救われたが、保守管理のマニュアルに致命的な欠陥があった点では深刻だった。しかし、概して言えば、40年間で大事故に発生1件というのは、従業員の技能が優れていた成果といえよう。
ところが、最近の情報では、原子力発電にはトラブルが頻発していたように思える。それは原子力発電業界の秘密主義が崩れ、ごく短期間のうちに、過去のデータ隠しが表面化したためだ。
例えば、北陸電力の志賀原子力発電所で、今から8年前、定期点検中に制御棒が抜け落ち、発電炉が臨界状態になるという深刻な事故が発生していたことが、最近、明らかになった。
東京電力でも、約30年前に、同じような事故が起きたという。すべての電力会社が改めて調査すると、1978年から2000年の間に、定期点検中に制御棒が抜け落ちる事故は8件も起きていた。
ところで、電力業界に秘密主義が蔓延したのは、原子力発電開始以来、「原理的な」反対運動が強かったからだ。彼等は原子力発電炉には暴走の危険性があり、発電所を中心とした広範囲の住民は生命の危険に晒されると警告した。そもそも、日本には原子力発電所はいらない。日本が平和憲法を守り、どの国とも平和的に共存すれば、エネルギー供給の不安はないはずだという主張だ。
原子力発電に関わるイデオロギー論争はずっと続き、90年代に入っても、妥協点を見いだせないという状態だった。電力会社は論争を避け、反対論者を刺激する情報を一切秘密にした。安全運転の実績こそ、納得させる唯一の方法だいう考え方を変えなかった。
それは、原子力発電所ではトラブルが絶対に発生しないことだった。しかし、それは無理な目標であり、結局、定期点検データの改ざんや、事故のもみ消しによって達成された。
最近、この秘密主義は馬脚を現した。というのは、規制緩和政策の進展と共に、電力会社はガス会社等との市場競争に晒され、コスト引き下げのため多くの下請け企業を使うようになったからだ。定期検査の時には、発電所の中で、いろいろな企業の人が働くという職場環境になった。彼等は発電所における管理のずさんさに気づいた。
事故隠しやデータの改ざんは、主として下請け企業の職員によって、次々に内部告発された。東京電力では、02年に大規模なデーター改ざんの責任を取って、社長・会長が辞任した。現在、6年前と30年前に起きた臨界事故が告発され改めて問題にされている。電力会社の「兎に角隠す」体質は崩壊しつつある。
既に「原理的な」原子力反対運動は消え、主たる反対運動は、電力会社の情報隠しに対する批判に変わった。電力会社はどんな不利な情報でも公開し、必要な場合には解決方法を自治体や住民と共に考えようという姿勢こそ、住民の信頼を取り返し、原子力発電の支持者を増やす唯一の方法である。
電力会社が細かく情報公開するのは、原子力発電だけではない。例えば発電用ダムによって、川と流域が破壊され、河口の沿岸ではひどい海岸浸食がおきている。こうした問題についても、地元と情報を共有して復元方法について議論すべきだろう。