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静岡総研「SRI」時々刻々 96号

自分とは何か

ダニエル・沖本さん(スタンフォード大学教授)は、第10回の静岡アジア太平洋フォーラム(2005年)で基調講演をし、夕食の時に次のような話をされた。

アメリカの日系2世には2つのタイプがある。第1のタイプは2世だけで生活共同体をつくり、2世と結婚して日本の習慣を守ろうとし、可能なら日本人タウンをつくりたいと考えている。第2は日系2世であることを忘れようと努力し、専ら白人とつき合い、白人と結婚し、子供も白人と結婚させたいというタイプである。

沖本さんは、第二次世界大戦中に、日本人強制収容所で生まれた。同じ、敵国でもドイツ人やイタリア人は収容されず、日本人だけ差別された。優れた頭脳の持ち主だったので、プリンストン大学、ハーバード大学の大学院を卒業して、自然と白人社会に溶け込み、第2のタイプになったが、自分だけが黄色人種であって、幼児期に差別を受け、また育った家庭の生活習慣が白人と違っているので、自分は何者かという疑問に絶えず付きまとわれた。第1のタイプに近づきたいという気持ちに襲われることがしばしばあった。

彼は、1967年から3年間、東京大学大学院で研究生として過ごし、その期間に、祖父の出身地である山口県の農村を訪れて、一族の大家族と過ごした。稲刈りや秋祭りに加わり、紅葉の山や庭の柿の木を眺め、夜には、囲炉裏で日本酒を呑み交わすうちに、突然、自分の中に存在している日本とは、何かが判ったそうだ。それ以来、自分とは何者かという疑問が消え、安心して日本研究に打ち込めるようになり、遂に世界でトップ・クラスのジャパノロジストになった。

もし、彼が現在のような農村を訪れたら、どうだったろうか。大家族は核家族に変わり、休耕田が増え、稲刈りはコンバインで行われ、秋祭りは小型で寂しくなった。専業農家が減り、サラリーマンとして都市に通勤し、企業社会で生きる人が増えた。彼らの家は改装され、塀が高くなり、個室が増え、プライバシーが重んじられている。

囲炉裏の代わりに冷暖房器が備えられ、食事が終わると、子供たちはさっさと個室に引き上げる。気軽な近所付き合いも減った。伝統的な日本が農村から消え、そこには欧米化された近代日本が染み込んでいる。多分、彼は心が傷つき、ジャパノロジストとして、大成しなかったかもしれない。

現在の若い日系2世は、沖本さんのような悩みを持たないようだ。アメリカでは、アジア人や中南米人の1世や2世が増え、黒人の人口が膨張し、それぞれ超一流の学者、政治家、芸術家、スポーツマンが次々に生まれ、白人の影が次第に薄くなった。また、日本製の自動車、精密機械、アニメ、ゲーム等がアメリカ市場で圧倒的に優れた競争力を発揮し、日本の技術や文化のプレゼンスが高い。

彼らは2世であることに自信を持てるから、父母の出身地の農村や地方都市を訪れ、そこが荒れていたとしても、無関心だろう。

沖本さんが若かった時代には、日本は遠い国であって、アメリカと異なる風土・習慣・文化に溢れていた。日系2世はアメリカと日本という異質文化の狭間に落ち込み、不安に襲われたが、幸か不幸か、今や世界はグローバル化し、その狭間にアメリカ文化が押し込まれ、どしどし埋められ、日本も平坦で分りやすい文化の国に変わった。

経済学は特にそうであって、アメリカの新古典派経済学が日本の経済学会を制覇し、日本で使われているほとんどすべての経済用語や理論展開も、アメリカ経済学に沿っている。

今度は日本人が沖本さんに似た「自分は何か」という悩みを持ち始め、固有な文化の追求が始まり、祭りの復活、若い女性の浴衣、漢字ブーム、漱石・荷風のブーム、昭和初期風の街づくりが、拡がっている。(以上)

 

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