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静岡総研「SRI」冒頭論文 2003年12月
自治体経営の効率化
最近、地方自治体で、ニュー・パブリック・マネージメント(新公共経営)の考え方が急速に広がっている。それは、民間の経営ノウハウを行政サービスや公共経営に生かし、自治体が顧客志向、成果志向の経営組織に変わろうとする意欲の現れだ。
しかし、新公共経営の基盤をなす行政評価については、1つの目標に関系する部局が余りのも多いので、それを横に串刺しして、費用対効果分析を実施すると、職員に対する負担が大きくなり、経営改革に繋がらないという批判がある。新公共経営の成果を上げるためには、自治体の組織を目的別にシンプルな形に変える必要があるだろう。
現在、目的的な組織としては、地方公営企業がある。水道、工業用水、バス、病院等がその例だ。それらは、公共的なサービスととものに、独立採算を要求されている。自治体のシンクタンクも、その中に含まれよう。ところが、公共的なサービスが要求されると、公営企業の組織は、形式的には自治体から独立しているが、実際には、人事や財務管理が自治体の枠内にはめ込まれ、自由な行動がとれない。そうしてなければ公共的サービスが犠牲にされる可能性があるからだ。
ところで、企業は専門的な経営者、技術者・技能者、資金調達・運用マン等の集合体であり、もし、赤字経営になったならば、経営者は交代し、賃金カットや人員整理を要求されるという厳しい存在だ。経営者は、経営の目的をはっきりと従業員に示し、毎期、売り上げや利益目標を定める。それと同時に人事評価基準を明確にして賃金を査定し、勤労意欲を盛り上げ、厳しさを浸透させる。経営者は、当然、採用、昇格、人事異動の権限を持っているはずだ。
しかし、実際には、多くの場合、公営企業の経営者は自治体の長が兼任し、主要なポストは自治体からの天下りや出向者だ。賃金の水準や体系は自治体のそれが準用される。料金や設備投資額を決める権限もない。議会は公営企業に対して専ら公共的に役立っているかといった観点から、経営に介入しようとする。一言で言えば、公営企業の実質的経営者は経営に対する当事者能力を持っていない。従業員は新しい経営戦略を創造したとしても、それを実現できないだろう。当事者能力がなければ、経営者は経営責任を取る必要がない。従業員はリストラされる可能性がない。まるで、社会主義国家の国営企業だ。公共的サービスを重視すると、このようにして、赤字が累積する。
こうした欠点を免れるためには、まず公営企業に当事者能力を与えることこそ、公共的なサービスの充実になるという認識を深め、公営企業に専門的な経営者や技術者・技能者を定着させ、経営責任を取らせることだ。
今後、25年間で、65歳以上の老人の数は1300万人も増え、生産労働人口(16歳以上64才未満)は2000万人も減る。老人が増えると、年金、医療、介護等の費用がかさむ。それを少なくなった若者が負担しなければならない。その上、経済力の東京集中が進む。そうしたなかで、地方自治体が住民サービスを充実させるには、組織をスリムにし、できるだけ多くの分野をアウトソーシングして、そこに当事者能力を与えることが重要だ。そうすれば、新公共経営が実施し易くなる。