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静岡総研「SRI」冒頭論文 2009年3月
国民国家が変わる
18世紀後半から19世紀の中頃にかけてのヨーロッパは国民国家の形成期にあり、戦乱が絶え間なく発生した。それは国民国家が民族国家であり、それぞれの国民国家が強い部族や民族が弱い部族・民族を制圧・吸収するという経過を辿って形成されたからだ。
イギリスは、イングランドがそれぞれ独自の言語・習慣を持っているスコットランド、ウエールズ、アイルランドを制圧して、国民国家になった。正式名称は「グレイトブリテン・および・アイルランド連合王国」である。
ドイツでは、神聖ローマ帝国時代には300の国が割拠しており、その中で最も強国だったプロイセンが弱小国を制圧してドイツ帝国をつくった。
フランスではフランス革命によって民衆の国民国家が生まれたが、19世紀の半ばになっても、フランス語を話せるのは、人口の25%しかいなかった。ドゴール首相は「フランスには300種類のチーズがあることから判るように、完全に統一するのは無理だ」と云ったことがある。
制圧された部族や民族は愛国心が弱い。イギリスではアイルランドが2次大戦に参戦せず、北アイルランドは最近までイギリス政府とテロで戦った。スコットランドは独自な議会や電力会社を持っている。ドイツのバイエルン人は北方ドイツ人よりオーストリア人や北イタリア人に強い親密感を抱いている。
民族が雑然と混ざり合っている地域では、整然とした国民国家が生まれなかった。そこで、民族ごとの文化習慣を尊重し、また地方分権制をつくり、国家の統合を守ろうとしてきた。不幸にも統合に失敗した例もあり、ユーゴスラビアは1990年代には悲惨な内戦が続き、ついに解体してしまった。
ヨーロッパでは、そもそも国民国家という器が不自然であって、それが内乱や戦争の原因になるということを覚り、EUによる国家統合が進んでいる。
アメリカでは、国家の中核を担ってきたアングロサクソンの比率が減り、多民族国家の色彩が強まる一方であり、国家統一が難しくなると思われた。しかし二次大戦後絶えず戦争を続け、前線では黒人兵が活躍したので、彼等の地位は急速に向上した。オバマ大統領はその勢いに乗って当選し、多民族の団結を呼びかけた。
日本は島国である上に、徳川時代に鎖国政策が実施され、また参勤交代が繰り返されたので、自然に国民意識が形成され、小型な戊辰戦争によって明治政権が生まれた。純度が高い国民国家であるから、目覚ましい勢いで発展した。ところが、最近30年間ぐらいで官僚組織が老朽化し、経済成長力を失ってしまった。
ヨーロッパでは統一国家が創るために大量な血が流されたが、日本は殆ど無血で国民国家になった。現在、ヨーロッパでは国民国家を克服するためにEUが拡大している。その時に日本では、反対に国家を分割して道州制にして活力を生もうという考え方が拡がった。道州の区分については、歴史的背景が全くないので、多数のアイディアが生まれるのは当然である。
(以上)