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(08/10) - 原油価格の上昇に抵抗できる都市づくり(08/07)
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(06/12) - 東洋の教育力(06/11)
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文化の発信地へ静岡県の軌跡
(04/1)
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静岡総研「SRI」冒頭論文 2004年11月
ますます孤独になる老人
農耕社会では、年輩者の知恵が必要だった。例えば、古老は台風の到来や冷夏等農作物に甚大な被害を与える異常気象に関して、それを予兆する現象や、発生のサイクルを知っており、早期に収穫するとか、冷夏に強い作物に転作しておくいった防衛ノウハウを蓄積していた。古老の知恵によって、村落は風水害や異常気象を克服することができ、その知恵は伝承された。
また農耕社会では、大家族や村落共同体が形成されて、集団的な生活が営まれた。コメ産業中心の社会では、水の管理と配分が最も重要な社会的機能であり、それは、村落共同体を通して行われた。出産・育児・不慮の災害の時には、大家族が助け合った。子供から老人まで、共同体の一員となって、始めて安全な生活が送ることができた。
これに対して、現在の資本主義社会では、技術進歩が豊かさを向上させる唯一の方法だと信じられている。ITやナノテクなどの技術や製品の開発には、若い頭脳と強靭な集中力・忍耐力が必要であって、古老の知恵は全く役立たない。いまや年輩者の存在理由は失われた。悪いことに、長寿化傾向が進み、老人の数が激増した。
また、研究開発や生産活動では、社会的分業が進み、集団的生活なしに、集団的な生産が営まれ、私たちは、好き勝手に自由な生活をしながら、安いコストで、豊かな生活をエンジョイしている。デパチカ、スーパー、コンビニ、携帯電話があれば、単身世帯でも不自由なく楽しい生活を送れる。結婚するよりも、単身の方が、自由な時間が多く、趣味に没頭できる、精神的に豊かになれると感ずる人が多い。
最近では、単身世帯が激増し、同時に出生率が激減した。その結果、子供達は遊び仲間が減り、都心の小学校は過疎地のそれのようになった。友達関係を巧くつくれない子供が増えた。祖父母が親に代わって、育てるケースが多くなった。そこに生き甲斐を発見している熟年者もいる。
豊かな社会では、集団も家族も必要な存在ではなくなった。確かに、単身生活は自由で気楽であるが、すべての物事はトレッド・オフの関係にあり、幸せは不幸を伴うものだ。集団や家族が消滅するとともに、存在価値を失った老人が生きる場所がなくなった。
日常の家事をこなすことにとって、生きる自覚を感ずることができる人は不幸にはならないだろう。また畑仕事や手工芸等若い時から慣れた仕事を持っている人は、老後になっても仕事を通じて細々と社会との関係を保てるから、生き甲斐を感ずることができる。しかし、サラリーマン生活を続けた人は、独力で社会と関係を保てるほどの技能を身につけていないので、恐ろしいほど孤独な生活に追い込まれ、早く呆けるかもしれない。そういう人が少なくない。
気がついてみると、経済発展が古い秩序を短期間で崩し、不幸な老人をつくってしまった。儒教がしみ通っている韓国でも、大家族制が崩壊しただけではなく、単身世帯が増え、出生率は日本以下になってしまった。不幸な老人も増えている。
これから、老人が気軽に話し合える地域の老人会、老人が造ったものを格安で売る販売所、老人が持っている伝統的な技能を伝承する会、老人のメールネットなど、小さな集団を沢山造ることが、まず必要だろう。