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静岡総研「SRI」時々刻々 100号

繋がりを求める。

かっての日本は平等国家であり、国民は平等意識が強かった。1960年代の中頃には、国民の90%が「中流の中」にいると感じていた。国民は人並み意識を持ち、隣がテレビを買えば、うちも買った。テレビのマス・マーケットが生まれ、瞬く間に、テレビが普及した。

こうして、80年代始めには、主要な耐久消費財がどの家庭にも行き渡り、日本は豊かな社会になった。それと同時に個性化の時代が始まった。若者は、立派な大学を卒業して、立派な会社に定年まで勤めるのは、生き甲斐のある人生でないと思い始めた。彼らは、コピーライター、デザイナー、ミュージシャンといったカタカナの個性的な職業に憧れた。フリーターが登場したのも、その頃だった。

多くの女性は社会進出し、男性と同じように働き、個性的な生き方を目指した。それと平行して、保育園が充実し、ファミリー・レストラン、ファーストフード、コンビニエンスストアーが成長したので、女性が働きやすくなった。それらのサービス産業は学生に対して豊富なアルバイトの機会を提供した。一家で同じテレビ番組を見ながら、夕食を楽しむいう生活がなくなり、夫婦も子供もバラバラな生活を送る時代になった。

企業は、顧客の個性化を刺激するため、商品のデザインや色彩に力を入れた。例えば、ビールでは、種類が増え、デザインが多様化した。個性化が進み過ぎると、人と人との関係が切れてしまう。

ロックが好きな人は、ロックバンドについて、ロックの細かいジャンル、服装、髪型等が重要であり、彼は人生をロックに賭けたつもりであって、好きなバンドのメンバーと同じ服装や髪型にする。ロックに興味がない人は、そんなことには全く関心がない。両者の間には、会話が成り立たないのだ。

バブル経済崩壊後、個性化が一段と進み、「人並み」という概念が消え、「人は人。自分は自分」と考え、他人の生活に無関心になった。それとともに、人生の夢もバラバラになった。ウォール街のディーラを志す人、田舎で農業をやりたい人、小さな飲み屋を開きたい人と、いろいろだ。

しかし、日本経済が衰退し、将来が暗くなった上に、バラバラな社会に変わったので、人生の夢を達成する手掛かりも掴めない。そうなると、人の心が変わってくる。

CDは売れないが、ライブ・イベントが盛んになった。ロックフェスティバルは凄まじい熱気であふれ、観客は物に憑かれたように踊り、その一体感に泣き出す程、感動している。

本は売れないが、有名な著者の講演会は大盛況だ。それは、知識を広げ教養を深めるためではなく、向上心をもつ人々との出会いが心地よい刺激を与えてくれるからだ。ゲームでも、ネット上でティームを組んだり、会話をしたり、誰かと繋がっている気持ちが重要である。

私たちは過去半世紀にわたる繁栄の中で、捨てしまった人と人との繋がりを、今取り戻そうとしている。

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