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静岡総研「SRI」時々刻々 102号

儒教と血縁社会を

台湾の横浜駐在公使(亜東関係協会横浜事務所長)の黄明朗さんが帰国するので、先日、送別の夕食会を開いた。黄さんは大家族制の下で、毎日一緒に夕食をする習慣の下で育った。帰国すると、総勢18名のメンバーが揃って夕食をとることになるので、大家族の核になっている彼の奥さんは、毎日、大量の食材の買い出しに出掛け、夕食を準備しなければならない。彼女は嘆いている様子もなく、大家族の女性メンバーとお喋りしながら作るので、結構楽しいと言う。

台湾でも核家族化が進み、夕食を一緒にとる大家族は減った。しかし、大部分の核家族は、両親が同じ市内に住んでいれば、土曜日には夫の両親の家へ、日曜日には妻の両親に家へ行き、夕食をとるという習慣になっているという。私の北京や上海の友人も、市内に両親が住んでいる場合には、同じように、毎週夕食に出掛けている。

黄さんに祖先を尋ねると、直ぐ、祖先は清の乾隆帝の時、河北省から福建省に移り、それから台湾に渡ったという答が帰ってきた。彼は数年前、念のために河北省と福建省の祖先の地に行き調べた。いずれの地にも、「黄」大家族がメンバーが住んでおり、簡単に祖先を確かめることができたそうだ。

黄・大家族では代々、名前の始めの文字は、初代が「公」、2代目が「明」、3代目が「正」、4代目が「大」であって、それが何百年にわたって繰り返されて来た。「黄明朗」は「明」のゼネレーションの人達と会い歓迎されたという。大家族制が生きているのだ。

中国は儒教の國であり、最も重要な徳目である「仁」は、身を捧げて愛することを意味している、この愛は欧米におけるような万人に対する平等な愛ではなく、愛すべき人はまず親であり、ついで親族という順序になる。親が死んだ時には嘆き悲しみ3年間も喪に服すが、他人が死んだ時には、全く無関心である。

儒教は、自分の死後、自分の田畑を受け継ぐのは子供であり、子孫によってその田畑は永久に生かされると考える。その田畑は祖先が営々として作り上げてものだ。従って、すべての人は血縁によって生存し、また永遠に生きることになる。

儒教圏では、上司は大勢の部下の中で誰を引き上げるかを決める時、同じ能力と見なされる場合には、血縁関係にある人を選ぶのは当然の行為であり、それが道徳的である。彼等は血縁共同体に属し、助け合いながら生きるべきだ。中国人もそう思っている。

朝鮮半島には儒教の精神が強く残っている。名前の最初の文字を見れば、例えば、釜山の金・大家族(本貫)の何代目か、木浦の金・本貫の何代目かが直ぐ判る。戦乱で一族バラバラになった時でも、同じ本貫に属していることが判れば、親身になって助け合うのである。本貫は10万~数十万の家族から成っており、こうしたモラルは、社会保障の機能を果たしてきた。

日本では、血縁よりも地縁が重要であって、明治の始めまで庶民には名字が無く、清水の次郎長、森の石松というように地名をつけて呼ばれていた。長い歴史を経て形成された地縁社会は、経済成長に伴う人口の流動化によって、次第に崩れた。

最近の10数年間では、プライバシーの過度な尊重、人口減少、地域経済の衰退という要因によって、地縁共同体の崩壊が加速し、助け合いの気持ちが消えた。現在では、老人の孤独死や就職できない単身母親の育児放棄といった、血縁共同体では殆ど発生しなかった悲劇が頻発している。

私たちは血縁社会を放棄し、かつイスラム教やキリスト教のように、宗教共同体を育てなかった報いを受けており、新しい共同体を作るのが、自治体の最も重要な仕事である。

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