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静岡総研「SRI」冒頭論文  2006年11月

東洋の教育力

アジアでは、13億の中国についで11億のインドが高成長を開始した。インドは中国よりずっと低賃金国だ。そこでは、国際レベルのソフト開発能力をもつ技術者が月給5万円で雇える。恐ろしいのは、低賃金国の中国・インドともに、中産階級が教育に熱心であることだ。

アメリカの大学にはアジアから留学生が押し寄せ、カリフォルニア州ではアジア人が人口の11%であるが、学生の22%がアジア人になった。アジア人学生は、麻薬やアルコールの中毒問題を殆ど起こさない。基礎教育がしっかりしているので成績も優秀だ。シリコンバレーが差先端技術のセンターになったのは、アジア人研究者の力が大きい。

平均的なアメリカ人が基礎学力を欠いているのは、開拓移民の伝統が残っているからだ。彼等は、単独で厳しい自然に立ち向かって懸命に働き、質素な生活で満足した。牧師は僻地の開拓地を訪ね、聖書を丸ごと信じ、働き、救済を期待することを説いた。孤独な開拓者達は、聖書を信じお互いに助け合った。

そこでは、知識や教育はまるで役立たなかった。飲まず食わずの生活であるから、勉強する暇があったら、もっと働けというわけだ。学問は特権階級の単なる趣味であり、特権階級は民主主義社会では許されない存在だ。その真似をする必要は毛頭ない。

アメリカでは進化論を教えることを禁止している州がある。それは聖書だけを信ずる人が多いからだ。聖書には神が人間を創ったと書いてあり、猿から進化したものでは絶対ないのだ。

ヨーロッパ人は「神が進化を創造した。進化論は神が支配する理論だ」と考えたが、アメリカは、200年の歴史しかないから、進化論を余裕を持って神と結びつけることができず、教育や学問があまり尊重されない。

そのため、アメリカの公立学校はゆとり教育そのものであって、スポーツや音楽に重点が置かれ、予算の多くは、スポーツティーム、音楽バンド、チアリーダー等、娯楽性が高い活動に配分され、読み書き算数等の基礎学力を向上しようと云う意欲がみられない。

中国では、教育の目的は直ぐに役立つ実用的知識を学ぶのではなく、多様な教養や哲学を身につけ、精神的な或いは政治的な指導者らしく振る舞えるようになることだ。

中国が生んだユニークな思想体系は儒教であり、それは大義名分や善悪に理論的基礎を与える壮大な倫理学であり、また国を統治する原理だった。学ぶのは倫理学や作法である。

インドでは仏教とヒンズー教が生まれ、志ある人は、数十億年を単位として輪廻転生する宇宙の原理を洞察して、人生を達観し解脱の道を学ぶのである。学問は現実的な利益を生む知識の習得ではなく、倫理や哲学であり、学べば、人格が高潔になり、人生が豊かになるはずだ。
大雑把に言えば、中国やインドの知識階級では、学ぶことそれ自体が目的だという思想が歴史的に創られた。それが、長い年月をかけて、庶民にまで浸透し、経済的余裕が生まれたならば、子弟に読み書き算数を学ばせる習慣ができた。

両国では、急速な経済成長とともに、中産階級の厚みが増し、読み書き算数を習得したマンパワーが億の単位で激増し、今やその力が世界に溢れている。  以上 

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