静岡新聞論壇

12月6日

就職は技能獲得のチャンス

大企業ばかり狙う若者

日本企業は、先端技術製品でも台湾や韓国に負け、間もなく中国に敗れそうだ。その理由の1つは、個人の力が弱くなったことだ。

天才は、職業を神から与えられるようだ。モーツァルトは、あたかも人類に名曲を送ることを命ぜられたように、5歳から、合計700の名曲を作り、35歳で亡くなった。しかし、普通の人は、神が何も与えてくれないから、何かのきっかけ(例えば、入社試験にパス)で、偶然始めた仕事を宿命だと覚悟して、一生かけて技能を磨くものだ。天才でない限り、最適な職業に就き素晴らしい成果をあげることは不可能だ。
豊かな社会になり、仕事の種類は単なる物造りから、情報と結合した物造りや、情報の創造にまで広がり、活動の分野が世界的になると、誰でも、どこかに自分の能力に適した仕事があるはずと思う。

普通の人は、適していると思った仕事に就いても、その適否は、10年ぐらい働いた後に分かるものだ。実際には、適していなかったとしても、その時には一人前の技術を身につけているので生活できる。私達が若い時には、偶然就職できた仕事で働くことが、分に応じた人生だと自分に言い聞かせたものだ。貧しかったので、1つの仕事にかじりつかないと食えなかった。
現在、高卒・大卒・大学院卒ともに就職難に苦しんでいるが、一方、中小企業では、新卒者が採用できなくて悩んでいる。大部分の若者は大企業を狙っているからだ。

大企業の多くは、60~70年前には零細企業だった。社長や従業員が人生を賭けて新技術を開発し、長時間労働に耐えて製品化した結果、大企業に発展して、従業員は安定した生活を送れるようになった。大企業に勤めようとする人の多くは、自ら努力しないで、先輩達が残した成果だけを受け継ぎ、安住しようというわけだ。大企業でも倒産するのは、そういう社員が増えたためかもしれない。
新入社員は基礎訓練のため、数年間、定型的な仕事を与えられ、その段階では当然個性を生かせない。それに耐えられず、仕事が合わないと判断して退職し、新たな仕事を探す人が少なくない。

最も重要な政策は教育

1990年代に入り、日本経済が衰退し始めたころ、「自分探し」という言葉が流行り、何年も就職せずにいる若者が、「企業社会を離れて、生きようとしている」と称賛されたが、技能を身につけるチャンスを逃し、結局非正規社員にならざるを得なかった。

いよいよ就職試験の時期になった。就職は一種の賭であり、偶然、採用された企業で技能を習得することが重要だ。技能に自信を持った時、独立する道が開けるはずだ。今世紀になって、「自分探し」の若者が増えたので、大企業は設備投資をせずに、彼らの低賃金を利用することによって収益を維持し、また日本経済の基盤を支えている中小企業は若手不足のため、日本の技術が低迷した。また起業も減り、その結果、日本の先端産業も台湾や韓国に敗れた。最も重要な政策は教育であり、若者の積極的な職業観の育成である。

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