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5月6日
学問の細分化と賢人会議
求められる総合判断力
最近、学問は一段と細分化し、専門分野が多くなった。医学がその好例であって、例えば、病院で呼吸器の専門医に診断して貰い、ついでに消化器の診断を頼むと、専門外だという理由で断られる。身体の調子が悪い時、一体、どの科に行くべきか迷ことが少なくない。
経済学も専門化し、例えば、地域研究についてみると、かってはアジア経済を論じた学者がいたが今は殆どいない。アジアの國一つ一つを専門家が研究してい る。中国経済の全体を研究する学者も少なくなった。それに代わって、中国語を自由に操り、製造業、国有企業、労働力、環境問題等の中国経済の細かい分野に ついて、深く研究する若手専門家が増えた。彼等は、医師と同じように、専門分野以外にはほとんど発言しない。それが学問的良心だと思っている。
ところが、世の中には専門知識だけでは到底解決できず、総合的判断力が要求される問題が増える一方である。原発問題はその好例だった。
日本には、優れた原子力工学の学者が多いはずだった。しかし、彼等は大規模な原子力事故という総合的判断力を必要とするケースを研究しなかったので、彼等 の原子力工学の知識では始めての大事故に歯が立たなかった。そもそも、政府や東電には大事故を総合的に把握できる組織もマンパワーも欠けており、政府も東 電も重要な情報を公表しなかったので、学者は発電炉の原理や安全装置を説明するに止まった。
事態は悪化し、彼等が安全だと強調すればするほど、安全でないと思う人が増えた。優れた専門家でも、多様な要因が複雑に働いている大事故の行方を予想するのは無理だった。
関西電力の大飯原発3,4号基の再稼働の問題でも、総合的判断力が要求されている。政府や関電は、防波堤を高くする等の補強対策を実施すれば、大震災や大津波にも安全だという。
智恵絞り論議積み重ね
その際、考慮されたのは、第1に再稼働しない時に被る経済的打撃である。関西で酷暑になれば、15%を越す電力不足になり、生産活動が縮小し、消費が落 ち、倒産する企業が増え、失業が発生する。第2は安全性である。補強工事が完成するまでのリスクも問題だ。第3は地域住民が同意するかどうかであり、説得 方法やその手続きが検討されただろう。第4は節電の限界である。
これらの問題の最適な解決方法を考え出せる人はいない。それぞれの分野の専門家が「賢人」になって智恵を絞り、素人論議を重ねて、決めるしか方法がない。学問が細分化すると、そういう場面が多くなるだろう。
別の例をあげよう。中国は軍事力を強化し、2年ぐらい前から、アメリカや東南アジア諸国との軍事的対立が強まった。インドやパキスタンは核搭載の長距離ミ サイルを完成した。そうした時、日本のアジア研究は一段と細分化し、アジア全体の動向を把握する人材が不足している。優れた「賢人会議」が幾つも生まれ、 定期的な論議が重ねることが必要である。