静岡新聞論壇

5月24日

中国「徳の政治」の危機

官民、共産党人事の腐敗

中国では、幹部の汚職・不正蓄財が目立っているが、それは儒教と深く関係しているから急には直らない。儒教の仁はすべての人を平等に愛することではなく、両親、祖父母、血が近い肉親からという順序がある。
儒教では、キリスト教のように「神と契約した絶対的な個人」は存在しない。どの個人も連綿と続いてきた大家族に帰属して生きており、先祖から継承された土地や財産を受け継ぎ、それを守り、子孫に引き渡す義務がある。個人は、この縦の血縁社会の繁栄という責任から自由になれない。

権限をもった政府の幹部が肉親を優遇するのは、一族の繁栄を意味しており、仁の精神に即しており、悪いことではないが、それが行き過ぎて、大家族がポストを独占して、國が乱れる。そこで、公正な試験をパスした人が國を治めるという官僚制度が、随の時代から続き、現在では中国共産党が官僚を監視している。
ところが、共産党幹部の子弟が、一流大学を卒業後海外留学して、堂々と政府や党の幹部に就任し、今や、党の幹部の半分は太子党になった。仁の欠陥を訂正すべき官僚や共産党の人事が、一族優先という仁の欠陥に沿って動いている。腐敗と云えよう。

そういう國では、民主主義制度は馴染まない。権限をもった幹部の背景には、巨大な家族集団がついている。歴史が古い國であるから、家族集団の大きさは数万人になり、取り巻きを加えると、数十万人に達する。選挙は血縁集団や地方間の激しい争いになる。

中国では、歴史的に一度だけ(辛亥革命の後)普通選挙が行われた。その時勝利を収めた野党の党首は、政府の刺客に暗殺され、各地に軍閥政府が割拠する分裂政治に戻った。その後、ポピュリズムに乗った独裁者・毛沢東が武力統一した。

中国では昔から賢人が徳の政治を行うべきだと考えられ、トップになる賢人を選ぶのは、選りすぐられた賢人の静かな話し合いによっている。現在でも共産党幹部の賢人が、話し合いでトップの総書記を選んでいる。

総書記は「天」に代わって徳の政治」を行う賢人であるから、公衆の前で政策をあれこれ論じ、論争するという軽薄なことをしない。「平和こそ重要だ」とか、「差別のない社会を創る」とか、ごく当たり前のことを重々しく述べるだけだ。

密室で怒る権力闘争

党の密室では、しばしば基本的な政策を巡って内部闘争が繰り返され、指導者の一部が失脚することがある。指導部のメンバーは、地域や機関の利益を背負っているので、素直に引き下がれない場合がある。

しかし、「徳の政治」では、権力闘争は外部に気づかれず、密室で静かに行い、また言論統制を敷き、国民には内部論争の有無すら知らさないものだ。もし、この静かな「徳の政治」が「公開論争の政治」に変わると、全国各地の反政府運動を刺激し、國の統一が乱れる。中国政府はそれを最も恐れている。
薄熙来氏は、文化革命を評価する仕事振り、華やかな主張、目立つ個人生活等は、明らかに「徳の政治」の枠を外れている、遂に失脚した。

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