静岡新聞論壇

2月9日

「秋入学」考-旧制高校の場合

趣味に打ち込む学生

秋入学に変ると、高校卒業後、半年間することがないので、学生が困るという意見がある。果たしてそうだろうか。旧制高校の教育が参考になる。  

旧制高校(現在の高校3年から大学2年までに相当)は、1950年に幕を閉じた。全国に38校あって、その卒業生・合計22万人は明治中期以降の日本の近代化や、敗戦後の経済復興や昭和30年代の高度経済成長の担い手として活躍した。  

旧制高校の卒業者数は旧帝国大学の募集人数より少なかったので、全員が旧帝大に入学できた。3年間は、どの学問を専攻すべきかを考える期間だった。教育の特色は自主的に学ぶことであり、学生はそれぞれ勉学の計画を持ち、その計画の中に学校の授業があるという考えだった。  

当時は、哲学、文学、歴史等の古典を熟読したり、趣味に打ち込んだりすれば、自ずと進むべき道が判ると思われていた。古典を読むという理由によって、授業を自由に欠席できた。その代償として学期末試験は厳しく、遠慮会釈なく落とされた。3年間で卒業できるのは、60%ぐらいだった。  

理想的な旧制高校生は民族学者の梅棹忠夫だった。子供の頃から蝶の採集のため山に入り、旧制第三高等学校(三高)では登山・探検で活躍した。1940年の夏、三高の探検山岳部を率いて、ろくに地図もない白頭山(中国・北朝鮮国境)を越えて、匪賊が出没する中国側に下り、正確な地図をつくった。その冬には、犬ぞりでサハリンを探検した。

彼は海外遠征が続き、学期末試験に出席できない。三高は特例として7年間(規則は最長六年まで)の在籍を認め、京都大学理学部は彼の入学を喜んだ。  

旧制高校の教育では寮生活が重要であって、ここで先輩や同級生から重要な古典を教えられ、競うように読むのだ。細かい知識よりも歴史、社会、科学を大局的に捕らえることが肝腎であり、先生の家で人生や将来を議論する学生もいた。大学の先生の論文を読んで感動し、その先生が教える大学に進学する学生が少なくなかった。

寮生活で自分の力知る

寮は相部屋で群れて生活しているので、プライバシーがなかった。そのため、自分の知力、性格、体力を他の寮生と正しく比較できたから、自ずと進学する学部や将来の生き方が決まった。寮は自治であり、生活の規則から食事のメニューまで学生が決めた。

台湾の李登輝さんは旧制台北高校出身であって、老いた日本人と旧制高校時代を話合うのが好きだ。中曽根元首相は、4ヶ月毎に東京で開かれる旧制静高の同窓会に必ず出席し、天下国家を論じ合っている。  

1920年まで東大は秋入学だった。芥川竜之介は一高を卒業後、東大入学までの間、夏の17日を樗牛の墓がある清水で過ごした。ノンフィクションライターの田口栄爾氏によると、彼は北矢部のお寺に住み、江尻の海水浴場に通い、風景や生活を細かく八通の書簡に記した。その3年後から鼻、芋がゆ等の名作が次々に生まれた。

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