静岡新聞論壇

11月30日

その場凌ぎの外交と教育

原子力技術の蓄積

戦後ずっと、私たちは国の根幹に拘わる重要問題についての議論を避けてきた。核武装問題はその典型的な例である。北朝鮮が近い将来に核武装しそうだ。武装工作船が日本の領域内で発砲し、拉致を繰り返した危険な国家であるから、日本はアメリカにしっかり守ってもらいたい。さもなくば、自ら核武装せざるを得ない。日本政府は、ずっと以前から「原子力の平和利用」を主張しつつ、実際には原子力技術の蓄積に努めてきた。初めての原子力発電所には(1956年建設)、副産物として良質なプルトニュームを生産するコールホール型原子炉が選択された。 

70年代には原子力商船「むつ」が、80年代にはウラン濃縮施設が、それぞれ国産技術によって建造・建設された。2000年代になると、使用済み燃料の再処理施設が完成して、日本は原子力に関する総合的な技術と核燃料を持つ国になった。また何回も通信衛星を打ち上げた結果、ミサイルを開発・生産できる技術も蓄積した。日本は決意さえすれば、数年間で、ミサイル搭載の核兵器を開発・生産できる。

ところで、日本が核武装して独自な軍事行動をとることを最も嫌うのはアメリカだ。それは、米軍の指揮下で動く自衛隊と日本にある巨大な基地を失うだけではなく、日本が軍事大国になってアメリカに刃向かうかもしれないからだ。

もし、核武装の可否が日本で政治家も加わって真剣に論じられたならば、中国や韓国との友好関係が損なわれるかもしれないが、次の2つのメリットが得られる。まずアメリカでは、核武装反対論を応援するために、日本との軍事同盟をもっと強化すべきだという考え方が多くなる。つぎに世界の主要国が北朝鮮に対して、もっと強く核開発の中止と拉致被害者の返還を要求する。

つまり、核武装の議論の高揚にはプラスとマイナスの効果がある。面白いことに、政府や自民党の幹部の中には、積極的に議論すべきだという説と、とんでもないという説がまるでタグを組んだように同時に現れた。それによって内外の反応を眺めているようだ。

最近、安部さんは靖国問題について、参拝したかどうかを云わないと宣言し、日中関係を丸く収めた。中国政府は、安部さんは参拝しないと解釈し、多くの日本人は中国の要求に屈しなかったと喜んだ。これも核武装議論と同じように、はっきりしない解決法だ。

内政問題への広がり

外交問題では、その場凌ぎのやり方が多いのは、日本が敗戦国であるから筋を通せないという事情があった。ところが、困ったことに、そういうやり方が内政問題に拡がっている。振り返ると、1990年代後半には、大蔵省が金融危機に対して、理論的に筋が通った政策を避けて、その場凌ぎの対策を重ねた結果、遂に日本経済は深刻なデフレに突入し、大きな被害を受けた。

最近では、社会保険庁が国民年金の保険料の徴収率を上げるために、未払い者に対して支払いを免除し、その場の数字あわせに努めた。この不正が明らかになると、年金に対する信頼性が一層低下し、未払い者が増えた。

その場凌ぎの姿勢は学校にも拡がり、700校近い高校では、必修科目を未履修のまま卒業させるつもりだった。それは学校が有名大学への入学者を増やすために、率先してカンニングしたようなものだ。また「いじめが減った」という成果を示すために、いじめを隠した小・中学校が多いことが判った。国のリーダーが、大きな問題に対して、その場凌ぎの姿勢を続けると、それは国の組織全体に伝染して、腐敗が進む。彼等は高い視点に立ち、筋が通った言動に徹すべきだろう。 以上

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