静岡新聞論壇

5月

「たまり場」が商店街を再生

物質的豊かさより文化

地方都市における商店街の衰退は目を覆うばかりだ。人口50万人を超える中核都市の中心商店街でも、過去10年間で売上高が半分近くに下がった例が実に多い。

古い商店街では跡継ぎのいない店が多い。店主はすでに子供が育ったので、古い店舗で細々営業すれば安心な老後を迎えられる。それは、個別の店にとっては妥当な経営態度だったが、そういう店が増えたので、商店街は崩壊した。

中核都市の豪華商店街では、店舗を拡大したので、郊外の家から通勤する店主がほとんどであるから、夜には人気が全くない。もし彼等が商店街に住み、日用品を商店街で買えば、どの店も売上げが増え、また夜まで活気が残り、衰退が防げたはずである。しかし、どの店主も店内の狭い居間の生活には、耐えられなかった。

豪華商店街の店の賃借料はかなり高めだ。それは地主が生活に困っていないので、安い賃借料で貸そうとはしないからだ。高い賃借料を払って利益をあげられるのは、コンビニ、ドラッグストア、レストラン、コーヒーショップなど競争力がある大手のチェーン店だけだ。こういう店の進出とともに、中核都市では独得の味や景観が失われつつある。地方都市の商店は、大型店やチェーン店との競争に勝てそうもない。

しかし、有り難いことに、市民のニーズは変化している。今や多くの人が物質的な豊かさよりも、自然や文化的環境に恵まれ、かつ温かいつき合いができる都市や山村を求め始めた。具体的に考えてみよう。

サッカーが盛んな都市では、サッカーファンの「溜まり場」が必要である。そこは一種のサロン風な喫茶店であり、地元に住むJ1の元選手達がよく出入りし、話題提供のために、ワールドカップの名試合のビデオや内外のサッカー情報等が用意され、時々元選手が解説し、サッカーの愛好者がゆったりした時間を楽しむ。入りやすいサロン風の「溜まり場」が幾つかできれば、他府県からの訪問者も増えるだろう。

静岡市は自然が最も多く残っている南アルプスの南側の登山基地である。年輩の登山者愛好家が集い、時には一流の登山家を囲み、さらにネパールやペルー等からの留学生が参加する「溜まり場」が欲しい。また、大井川の奥の光岳には、標高差1000メートルにわたる屋久島や知床半島に匹敵する原生樹林帯がある。

地方都市への来訪者増加

地元のガイドが森林愛好家グループを連れて登山し、またしばしば大学等の森林研究家が加わった「森林を学ぶ登山」が催されれば、現地に愛好家の「溜まり場」が生まれるだろう。そうした行事が何年も繰り返えされれば評価が高まり、内外各地から訪問者が増え、やがて静岡市か本川根町で、国際的な森林学会が開かれるかもしれない。

演劇、音楽、文学、歴史でも愛好者の「溜まり場」がつくれそうだ。プロの演出家や俳優が、アマの愛好家を指導して、演劇を上演する試みに挑戦している県がある。演劇の裾野が広がり、アマのレベルが向上すれば、「溜まり場」の議論の中から、新しい演劇運動が始まるかもしれない。

かって東京の都心には小説家と出版人が集まるバーが幾つかあったが、首都圏が膨張するとともに消滅した。地方の中核都市では、文学や歴史の専門家と愛好家が狭い時間距離の範囲に住んでいるので、団塊世代を中心に人間的にふれ合う「溜まり場」ができそうだ。

喫茶店やレストランの片隅の「溜まり場」で、ボランティアが活躍して、刺激的な会話が夜遅くまで弾めば街は活気づく。「溜まり場」が次々に生まれた時、商店街が文化的になり、再生するに違いない。

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