静岡新聞論壇

3月20日

ウクライナの国内融合が重要

独立時残った東西対立

ウクライナはずっとロシアや周辺の強国の支配下に置かれ、ロシア革命の時には350万人が餓死し、スターリンによって27万人の共産党員が粛清され、2次大戦では独ソの主戦場になり650万人が死んだ。1991年にソ連が崩壊した時、念願の完全な独立国になった。しかし、東西ウクライナには深刻な対立が残された。

西部にはウクライナ人が多く、カトリック、ウクライナ語であり、東部ではロシア人、ロシア正教、ロシア語が多数派である。国語は東西の政治力学の変化に応じて、ウクライナ語とロシア語が交代し、その都度、西部と東部ではそれぞれ国語を理解できない人が失業し、相互に恨みが重なった。

独立した時、政権はロシアの圧政を憎むウクライナ人の気持ちを反映して、反ロシア的政策を採用し、すぐ国語をロシア語からウクライナ語に変えた。クリミアの大半の住民はロシア語で暮らしており、新国語の公文書を理解できないため、多くの人が失業した。

また、クリミア先住民のタタール人とロシア人の対立が激化した。スターリン時代に、全てのタタール人は中央アジアへ強制移住させられた。ウクライナ領になり、帰国したタタール人が旧自宅に住んでいるロシア人を暴力的に追い出す事件が多発した。

ウクライナは重工業と農業生産の拠点だった。独立後、非効率な国有企業が存続したので、経済が縮小した。今世紀に入る頃、民営化が進み、またロシアが経済援助して、経済が立ち直った。しかし、2004年に大衆デモによって反ロシア・親欧米政権が生まれると、ロシアは援助を止め、リスクを恐れる欧米企業は投資を減らしたので、経済は悪化したが、ガス・水道の低料金制が続けられ、財政は破綻した。

国民団結導く政策急務

ウクライナは、東西の対立が激しく、政治が不安定である上に、腐敗が蔓延し、現在では、賄賂の多寡によって犯罪に対する判決も変わるという。キエフ市民は腐敗と失業増大に怒り、大型デモによって親ロシア政権として登場したヤヌコビッチ政権を倒し、親欧米派のヤツェニュク首相を誕生させた。

過激な反ロ・ナショナリストがこのデモのリーダーの一角を占めていることが、暫定政権の危なさと言われるが、アメリカは逆に反ロという理由でこの政権を強く支持している。

ロシアはクーデターによるものだとして、暫定政権を否定した上、ロシア人保護のため軍事的に重要であるクリミアに軍を派遣した。さらに「国民投票」の大勝利とともに、クリミアのロシア編入を決め、ウクライナ東部への勢力拡大を狙っている

ウクライナ暫定政権は、過激なナショナリストの武力行動を抑えるべきだ。ムスレムのクリミア・タタール人のテロも警戒しなければならない。

アメリカは経済制裁を実施しつつ、ウクライナ暫定政府に対して、ウクライナ語・ロシア語の併用や東西同数の閣僚など、東西が融和し国民が団結する政策を要求すべきだろう。

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