静岡新聞論壇

9月3日

専門家と広い見識

原発メーカー東芝の甘さ

東芝が2008年から14年にかけて、合計1500億円を超える損失を隠蔽する不正会計を重ねた。損失の要因の一つは、06年におけるウェスチングハウス(WH)の買収にあった。当時、それは歴史的快挙として、西田厚聡社長(当時)が高く評価され、翌年の毎日経済人賞では、選考委員の全員が西田社長を受賞者に推した。

東芝の前身である東京電気と芝浦製作所はいずれもGEが大株主であり、東芝はGEの技術に依存して成長してきた。原発についても、東芝はGEから技術を習い、1971年の福島第一原発1号機(沸騰水型・B型)の建設では、GEの下請け企業だった。しかし、次第に実力を付け、13年後に建設した女川発電所は、東日本地震の震源地に最も近かったにもかかわらず、損傷が発生しなかった。

WHはGEと並ぶ原発メーカーであり、原子力潜水艦や空母は、いずれもWHが得意とする加圧水型炉(P型)を動力源にしており、P型炉は最も安全な原子炉と言われている。東芝はWHの買収によって、P型炉では圧倒的に強くなり、B型炉を加えると、世界一の原発メーカーへの展望が開けた。

ところで、東芝、東電、経済産業省の原発関係の3者は、それぞれ権限内に固く閉じこもり、「福島型原発には、外部電源への接続や冷却水の位置(低い場所にある)に弱点があるから、地震やハリケーンによって、原子炉は暴走する可能性がある」というアメリカで展開されていた厳しい議論は無視され、日本の技術で対応可能だと甘くみていた。

東芝のWH買収の5年後に福島原発が暴走し、日本では原発建設が止まり、海外ではコスト競争に勝る中国が活躍し、また再生可能エネルギーが拡大した。東芝には高い買物になったが、WHという暖簾を資産として高く評価することによって、損失を故意に減らした。東芝の不正会計は、そこから始まり、以後、拡大の一途を辿った。

限界状況でも大局的判断

異分野の識者が、専門家より安全性を正しく判断するケースが多い。戦後70年間の大事件では、まず福島原発について、陸中海岸では千年毎に巨大津波が発生し、貞観津波から千年たっていると危険信号を発した地球物理学者や、福島型原発の弱点を指摘した政治家がいた。

御巣鷹山の日航機墜落事故の原因は、ボーイングによる垂直尾翼の修理ミスだった。日航と運輸省は、ボーイングの技術を信頼し、また、定期点検の結果を信じた。しかし、1980年代にボーイングの工場を見学した多くの人は、現場職員のだらしない働きぶりを見て、安全性に疑問を抱いたという。

教養人だった沖縄県最後の官選知事島田叡知事は沖縄戦の最終段階で県庁解散を宣言し、職員に生き抜くことを要求した。敗戦が確実になったから、捕虜になっても生き延び、日本の再生に尽くすべきだという見識だったと言われる。

日本では、特殊な情報から強烈な刺激を受け、かつ限界状況でも、大局的に判断できる教養豊かな専門家が重要であり、それを育成するのが大学の使命といえよう。

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