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8月6日
中国は日本だけ攻撃する
欧州列強の不平等条約
19世紀には、ヨーロッパ列強の中国侵略が続いた。特にあくどいイギリスは、中国から茶の輸入が増え、拡大した貿易赤字を埋めるために、インドで栽培したアヘンを中国に売りつけ、さらに軍事攻撃を加えて、アヘンの輸出を自由化させ、香港を譲渡させた。
イギリスは威嚇のため北京を攻め、世界で最も美しい離宮の「円明園」に侵入して史上最悪と言われる略奪を行った上に、香港の対岸の九龍を奪った。イギリスに続いて、ヨーロッパ列強は、次々に中国と不平等条約を結び、また重要な都市を租借地として実質的な領土にした。フランスは広州湾を、ロシアは旅順・大連を、ドイツは膠州湾を相継いで租借地にし、それぞれ、そこから内陸に通ずる鉄道の敷設権まで独占した。
しかし、中国では反欧運動より、反日運動が全国的規模で高まった。それは、1915年に日本が21カ条要求を突きつけ、また第1次大戦の戦勝国である中国は、ドイツの租借地・青島の返還を要求したが、日本軍がそこを占領して、19年にドイツ権益を無償で譲り受けたからである。
中国の弱点は各地で軍閥が権力を握り、国内が分裂状態にあり、また満族政府の清に対して、漢族が協力しないことだった。ところが、第1次大戦ブームで経済発展し、労働者数が200万人に達し、都市住民が増え、国民国家の基盤が形成された。それを全国的なナショナリズムの盛り上がりに転化したのは、日本のニつの侵略行為だった。
日中戦争初期の戦線は上海にあり、日本軍は全兵力の30%に当たる300万人を投入したが、中国軍は強く、血で血を洗う壮絶な市街戦が4カ月も続いた。激しく対立していた国民党と共産党は対日戦争を戦うために合作し、蒋介石、毛沢東とも国内で戦う戦争では、必ず勝つと信じていた。
日本軍は、南京を占領すれば、敵は戦意を失うと予想したが、敵は重慶に立てこもってしまった。南京市民の30万人虐殺(中国政府主張)は過大である。しかし、シーメンス社の中国駐在員として30年を過ごし、当時南京にいたジョン・ラーベの日記等の資料によると、日本正規軍は戦闘終了後、捕虜、投降兵、一般市民を意図的に大量虐殺したことは確かであり、敵の戦意喪失を狙った見せしめ虐殺だったという説がある。
語り継がれる虐殺被害
第2次大戦で、南方や中国に赴いた人は、悲惨な体験を妻子にさえ話さない。それを思い出すと、自己嫌悪から抜けられないからだ。一方、無実の市民が大量虐殺されたケースは祖父から孫へ語り継がれるものだ。原爆投下、3月10日の東京下町爆撃、シベリア抑留などがそれであり、中国では、南京等多くの都市で殺戮の被害が語り継がれている。
中国経済は現在不振に落ち込み、指導部では汚職摘発を巡って対立が深まり、南シナ海では、米中の対立が激しいので、ナショナリズムの高揚による強い団結が必要だ。日本の侵略批判はその絶好な手段であり、9月には大規模な抗日勝利記念大会が開かれる。安倍首相が戦後70周年談話で強気な発言をすると、中国の思うつぼである。慎重な姿勢が望まれる。