静岡新聞論壇

7月9日

幸せな人生と尊厳死

北欧は「経管栄養」禁止

病院で死亡する人は1970年代で既に50%に達したが、最近では90%台だと言われている。病院では、最新の延命技術と設備が備えられ、管を通して直接胃に栄養を補給する「経管栄養」、人工呼吸、カロリー輸血等の治療を受けている患者が少なくない。一人当たり年間1000万円の費用が掛かることもある。

見舞い先の病院で肉親のこうした悲しい姿を脳裏に焼き付けた人も多いだろう。人間は容易に死ねなくなり、著名なエコノミストである八代尚宏さんは「延命治療は苦しむための体力を付ける」結果になりそうだという。幸い、昨年、日本緊急医学会などは、適切な医療によっても回復不可能な終末期には、医師と看護婦のチームが、本人と家族の了承を得て、延命治療を中断するという統一指針をまとめた。北欧では「経管栄養」は禁止されている。

基礎医学の大家・本庶佑さんは、「これからの医学の中心は、いかにして、心地良く衰え、老人は培った深い知恵を世の中に知らせつつ、静かな終末を迎えられるかの研究である。」と考えておられる。治療医学は目覚ましく進歩し、膨大な数の高齢者を生み出したが、残念ながら、その生活の質を考慮しなかった。

世界では、終末期の患者の自殺を補助する尊厳死(日本では安楽死という)の論争が広がっている。オランダ、ベルギー、スイス、ルクセンブルクと、アメリカの5州で尊厳死が法制化され、オランダでは死亡人口の3%を占め、最近、ベルギーでは、尊厳死の条件が緩和され、年齢を問わなくなった。例えば、5歳の子供が自動車事故に遭い、数日後には死ぬ。子供は痛さに苦しみ泣き叫び続けている。両親が承諾すれば、尊厳死が認められる。

ヨーロッパでは、宗教上以外の主たる反対論は、医師と尊厳死NGOが判断を誤る可能性であって、数ヶ月後に死亡を予告された人が、30年間も生存した症例がある。右のヨーロッパの4カ国では、尊厳死希望者の70%近くが、医師とNGOの説得によって希望を取り下げているという。

家庭医こそ医療の中心

ロンドン・エコノミスト(6月末号)は、表紙に「死ぬ権利」という「見出し」をつけ、昨年に注目された話題を伝えた。アメリカで、29歳の女性が、脳の癌が進み、医師から余命1~2カ月と宣言された。彼女は、脳の癌のため、目が見えなくなり、また身体の均衡を保てない。この苦しみが1~2カ月続いた後に死ぬことを知ると、直前に尊厳死が認められたばかりのオレゴン州へ移住した。彼女は尊厳死の前に、インターネット・ビデオで尊厳死の必要性を述べ、カリフォルニア州知事に尊厳死の嘆願書を送った。その情報がカリフォルニア州全体に広がって世論が変わり、州議会は、先月、尊厳死の法制化を決議した。終末の苦痛が除去されるのは、安心した老後を送れる一つの条件である。

誰でも、殺風景で孤独な病室より住み慣れた自宅で死にたい。在宅医療が進み、家庭医(往診する)と介護士が密接な関係になって患者や家族との交流が深まれば、静かな終末期を送れるだろう。日本で非常に少ない家庭医こそ、医療の中心である。

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