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文藝春秋 2004年7月臨時増刊号「第二の人生 暮らしの設計図」

老後の安心とは、いつでも現金化できる金融資産である。

年をとると、人生設計が立たない。まず、何歳まで生きるのか、突然ポックリ死ねるのか、何年間寝たきりになるのか、痴呆になって徘徊するのか見当がつかない。。

人生には、「保守主義の原則」があり、それは最悪の場合に備えておくことだが、年配者にはこの原則が当てはまらない。老人になって、寝たきりになる、痴呆が進行し病院で軟禁状態になる、女房が寝たきりになって、かつ100才ぐらいの両親が生きているかもしれない。そうした時、困らない生活を送るには、少なくても、数億円の貯蓄が必要であり、我々にはそんな巨額な貯蓄は不可能だ。子供や孫には頼めない。人数が少ないので、彼等の人生を台無しにしてしまうからだ。

老後の問題をどれほど深く考え悩んでも、解決案が生まれるわけがないから、あっさり「保守主義の原則」を捨て、死に際を具体的に考えないようにすることが重要だ。仏に縋るのも1案だろうが、人の考え方や気持ちは環境や状況の変化とともに変わるから、死に際を悩むのは取り越し苦労かもしれない。

例えば、70才代までの人は、誰でも長期間入院した時には個室に入りたいと思うだろう。ところが、90才近くなり、身体がすっかり弱って、看護婦の世話なしでは生きられなくなった時には、気持ちが変わるだろう。どうせ看護婦の数が少ないから、個室ではナースコールしてもすぐ来てくれない。体力がないから、孤独に読書を楽しむ気もしないだろう。ぼんやりと看護婦が来るのを待つているだけだ。大部屋では看護婦がしばしば出入りする上に、大勢で寝ているので寂しくない。プライバシーに関する感覚も鈍っているだろう。大部屋で満足する人が多くなるだろう。

つまり、年配者は将来を悩んでも仕方がないのであって、現在を愉快に生きるように努めるべきだろう。準備とすれば、尊厳死協会に入って、管による生存を拒否しておく程度だろう。誰でも、楽しい人生を送り、財産を完全に使い切って死にたいと思うが、人生はそんなにうまくできていない。それは、若くて健康な時に思いつく夢物語に過ぎない。

大体、年金が期待通り貰えるかどうかわからない。出生率、経済成長率、平均金利等年金の支給額を決める要因が、厚生労働省の楽観的予想のように推移するとは思われない。今まで楽観的予想が極端に外れ、その上、役人のモラルが地に落ちているので、年金基金の無駄使いが続いた。それらが、これから改まるという保証はない。

また、これから「蛇のピアス」や「蹴りたい背中」の主人公のようにまるで勤労意欲を持たない人が増えそうだ。「蹴りたい背中」の主人公は、取り立てて変わった人物ではないのに、「頑張って生きている人をみると笑っちゃう」と真面目に述べている。文春は150万部も売れ、新しい文学の復活を喜んでいるが、私達からみると、そういう人が増えれば、日本経済は確実に長期的な衰退過程を辿る。そうなれば、現役世代の所得が減るので、年金の支給額が現役世代の50%であったとしても、我々の老後はかなり貧しくなるだろう。

また、所有している不動産を担保にして資金を借り、それを老後の生活に充てるという考え方がある。しかし、死ぬまでに地価が低下して借入金の限度額が減ったり、予想外に長生きしたりして資金が不足し、遂に不動産もなくなり、住む家に困るかもしれない。

近い将来、インフレが来る

年配者にとって、兎に角重要なことは、何時でも現金化できる金融資産を持ち、少なくとも、緊急事態に備えられるようにしておくことだ。そうすれば、さし当たって毎日の生活が安心だ。ところで、預金、国債、社債のような金融資産の最大の敵はインフレであり、それとともに金融資産の元本が確実に減価する。

ところが、悪いことに、近い将来、デフレ経済が収束して、インフレ経済が到来しそうな気がする。すでに、世界経済は、過剰流動性の傾向にあり、国際商品価格が暴騰しながら、高成長している。アメリカ経済は、財政赤字(大減税)と金融緩和に支えられて4%の成長を続け、中国は、輸出超過とそれによる金融緩和によって9%を越す成長振りだ。 両経済大国が急成長すると、忽ち、世界経済は物不足になった。日本経済は、年間で、GDPが10兆円ぐらいしか増加しないが、アメリカ経済は40兆円も増え、中国経済は、著しい元安であるから、購買力平価で調整すると、25兆円ぐらい増加している。そのため、現在、原油、鉄鋼製品、紙、船舶等、国際的に取引されている商品は何れも不足して、過去1年間で価格が2倍になった商品が多い。

日本経済が好調なのは、輸出が伸びているからだ。政府は円高を恐れて、ドルを買い、それをアメリカの国債で運用している。今年の初めには、日本政府はアメリカの新発国債の半分近くを購入した。アメリカ経済は、そのお陰で、膨大な額の減税政策を実施しても、金利が上昇せずに、順調な成長を続けることができた。また中国は内需が強い上に、日本等からの工場進出によって生産性が上昇し、かつ対米輸出が増加して急成長している。

日本経済は現在デフレ気味であるが、アメリカの国債購入や対中投資を通じて、国際商品の価格上昇を勢いづかせている。最近、日本の輸入物価は急速に上昇し、工業製品の卸売物価は上昇し始めた。中国経済が強くなったので、間もなく、元は切り上げられ、中国からの輸入商品が値上がりするだろう。日本では、金利がゼロ近い程資金が余っているので、一旦物価が上昇し始めると、過剰資金が動き始め、インフレ経済にならないとは限らない。

年配者に適した投資クラブ

インフレに強いのは土地と株式だ。年配者は自宅を持っているので、土地投資を考える必要がない。株式投資はリスクを伴うから、まず、分散投資を心掛けることが必要だ。そのため、株式に運用するのは、所有金融資産の20%以下に止め、それ以外は預金や国債のように安全な金融資産に向けるべきだ。株式の運用には、日経株価指数に連動する投信のように比較的変動が少ない投信を、毎年決めた月に少額買い続けることだ。それは投資時期のリスク分散になるからだ。1時期に集中して買うと、その時、実は株高であって、それから下がる一方になるかもしれない。

年配者には投資クラブが適している。例えば、友達11名ぐらいで投資クラブを創り、幹事を決め、20万円ぐらいを出資する。毎月決まった日に会合を持ち、11名が議論して、多数決で投資総額220万円の投資先株式を決める。議論には基礎的理論やデーターが必要であるから時々専門家の話を聞き、パソコンを使ってデーターベースを整えておく。

投資先企業を決めるコツは、メンバーがよく知っている会社10社ぐらいを選ぶことだ。それは、以前に勤めていた会社、環境保護関係に熱心な会社、本社や工場が自宅近くの都市にあって仕事の繁閑状態を推量しやすい会社など、普段から関心を持っている会社等になるだろう。人に勧められて、内容を知らない会社の株式を買うのは単なる投機であり、株式投資の勉強にはならない。

投資クラブの長所はメンバーが毎月顔を合わせて議論するので、次第に仲良くなることだ。定年で仕事を失うと、生活が実に寂しい。仕事も、話し相手も、帰りに一杯飲む同僚もいない。女房の態度が一変し、お互いに稼がないから平等だと言い出して、自分の生活を大切にし、世話してくれないので、家の雑事を孤独にこなさなければならない。そういう人にとっては、投資クラブで経済を議論し、社会的に価値ある会社はどれか、収益があがるか、テロの影響はどうかといったことを話し合うことは愉快ではないか。亭主の世話を放棄した主婦も加わるだろう。友達の輪が広がるのである。

消費財を生産している会社は,PRのために工場見学させてくれる。同じ都市に存在する会社では、「お宅の会社の私的な株主会だ」といえば、工場見学できるに違いない。この会社には、工場内に緑が多い、廃棄物管理が完全だ、従業員が礼儀正しい、老人や障害者を雇用しているといった発見があるかもしれない。こういう会社にこそ、大勢の仲間を集って投資すべきだという積極的姿勢が生まれるに違いない。政府に代わって、重要投資先を決め、運動するのは老後の楽しみになる。

投資は頭の体操にもなる

投資メンバーの中には、個性的な人がいて和が乱れ、クラブが長続きしない場合がある。証券会社の人が来て専ら短期的売買を薦めて、手数料を儲けようとする危険性がある。そうした時にはクラブを脱退して、新しいクラブを創ればいい。クラブを創る時、脱退の条項をしっかり創っておくことが必要だ。3年ぐらいクラブを継続した後、投資した株式をすべて売却すると、多分海外旅行に行けるだろう。メンバーで海外の企業をみたり、欧米における投資クラブを訪れるのも面白い。海外旅行後に、再び、投資クラブを創れば、友人の輪はもっと広がる。

投資クラブで運用するのは出資金20万円ぐらいだけだから、儲けたとしても大したことはない。また運用先は、多数決で決められるので、決定には不満が残る。メンバー達はクラブのおける議論を参考にして、自分が最良だと判断した株式に個人的に投資してインフレに備えればいい。投資クラブは、株式投資の研究と実験の場であり、社会に関心を抱く人達の社交の場である。イギリスやアメリカでは、投資クラブが年配者や女性の社交の場として発達している。

社会的活動から引退すると、生きた情報が入らなくなり、緊張した取引の場から外れるので、次第に呆けてくる。パソコンの操作能力も衰えるばかりだ。少しでも、現役に近いところで生活したい。そうすれば、第2の人生の展望も開けてくる。投資クラブによって金融資産の減価を防ぎつつ、同時に、社会参加できるのである。投資クラブが投資に失敗して、出資金が減ったとしても、それによって得た成果の方が大きいだろう。うまくいけば、死ぬまで緊張した生活を送ることが可能であって、取り立てて老後の人生設計を立てなくても、元気のまま往生できるかもしれない。

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