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エコノミスト2003年9月臨時増刊号「戦後日本企業史」掲載

無数の熟練工が技術立国を支えた

戦時経済が生んだマンパワー

日本企業には多くの”田中耕一”さんがいて、様々な技術を開発してきた。だがそれを現実の製品に生かし、地道に改良していったのは、無数の名もない熟練工達の力だ。技術を身体に染みこませた熟練工達が、黙々と成し遂げてきた偉業を振り返る。

ゼロ戦を作った技術力

日本の製造業は、敗戦の20後には、ほとんどすべての業種で国際競争力を備えることができた。さらに、その20年後には、軍事産業を除く業種で、多くの企業が世界トップ水準の生産技術を身につけた。

中国は、市場経済導入後20年間で製造業が急成長し、今や製造業大国にのし上がった。しかし、その成長を担ったのは、台湾企業を含めた外資企業だった。最近、現地資本の企業は、確かに実力が向上したが、生産設備や高度な部品は、未だ輸入に依存している。
 これに対して、日本では、敗戦後、消費財産業、素材産業、資本財産業の技術水準が揃って向上し、外資の直接投資なしに、製造業を軸にした経済の高成長を達成した。製造業がフルセットで成長できた理由は何か。

そもそも日本には生産技術の歴史的蓄積があった。江戸時代には、日本刀、和時計など優れた金属製品がつくられ、明治初めには電話,電球を始め欧米の新製品が約10年遅れで国産化された。昭和の初めには、重化学工業の技術は国際水準に達し、太平洋戦争初期に、国産技術で生産された「ゼロ戦(零式戦闘機)」は世界最強のの戦闘機だった。大和、武蔵は最大の火器を備えた巨大戦艦だった。ところが、戦時中に、重化学工業では、設備更新や新技術開発を行う経済的余裕がなく、また米空軍の爆撃によって、大部分の工場は灰燼に帰したので、工業力は一挙に低下した。

しかし、優れたマンパワーが残った。戦時中には、繊維工場が兵器工場に変わり、商店主まで兵器工場へ徴用され、工員として働いた。軍隊にとられた人は、高級機械である火器や戦車を操作した。こうして重化学工業で働けるマンパワーが激増した。その成果は、戦後、間もなく現れた。

機械工経験者が作り出した魅力的なパチンコ台

一例をあげよう。敗戦の数ヶ月後からパチンコ・ブームが始まった。戦前のパチンコは木製であり、指物師が製作したが、戦後、機械工を経験した人が増えた。こうした機械工経験者がパチンコ台を生産し始め、パチンコ・メーカーが機械工経験者を採用した。零細なパチンコ・メーカーの技術水準が向上し、パチンコ台の背面のレールや玉のプール皿が金属に変わった。プール皿にある玉の重みが、台のベニヤ板のしなり方に変化を与え、玉の出方にサイクルが起きたので、魅力あるゲーム機が生まれた。

つぎに、1950年代から60年代にかけての政府の産業育成政策が成功した。政府は低利資金を鉄鋼や電力などの基礎産業に集中的に配分し、外貨を新鋭設備の輸入に優先的に割り当てた(当時外貨は厳しい管理下に置かれていた)。優れた労働力が新鋭設備を運転できるようになった。

鉄鋼業では、LD転炉、圧延設備のストリップ・ミル等最新鋭の設備が輸入され、稼働後数年経つと、生産性、製品品質とも、同じ設備を使ったどの国よりも優るという成果を上げた。それは工場現場の労働者が設備をしっかりメンテナンスしたので、トラブルが少なく、稼働率が高ったからだ。
 また、彼等は、ホット・ストリップミルの上を煮えたぎって流れる鉄の赤い色が、どの程度黒みがかっている時、最も良質な製品がつくられるかを経験的に知り、そうなるように設備を運転して、良質な製品を作った。理論よりも経験を重く見て、作り方を改良するという職人の伝統が、巨大な銑鋼一貫工場でも生かされた。

また政府は国産品を保護した。例えば、電力会社に対して、水力、火力、原子力などの大型発電設備について1号機の輸入を認めるが、2号機以後は国産品を使うというようなルールを決め、国内マーケットを守った。重電メーカーは、期待に答え、外国から技術を導入・吸収して、間もなく、輸入製品に劣らぬ製品を生産し、ついで、改良技術を開発できるようになった。

機械工業における技能

機械産業は先進工業国で発達する産業だ。日本では、60年代後半から70年代前半にかけて、造船、カメラ、重電、家電、自動車、工作機械、産業機械等を始めとして、主要な機械工業が強い国際競争力を持ち、日本は名実ともに一流の工業国になった。それを可能にした主たる要因は、大勢の熟練工が育ったからだ。

すべての機械工業は多数の部品からなり、組み立てメーカーの裾野には、膨大な部品メーカーがピラミッド状に広がっている。代表的な例は自動車産業であり、自動車の部品は2万個を超えている。部品メーカー群は、1次、2次、3次という立体的な下請け構造を形成し、自動車生産の総コストのうち、部品コストが70%を占めている。

「固める」技能

機械製品は、固める、叩く、削る、組み立てるという4つの作業によってつくられる。大きく括れば、「組み立て」は大企業の仕事であり、「その他の3つの仕事」は中小企業で行われている。「3つの仕事」のそれぞれは多種多様であり、それぞれの専門分野に、幅広い技術を蓄積し、強い競争力を備えている中小企業がいる中小企業がいる。

固める工程は鋳造である。鋳物は自動車(例えばエンジンブロック)や工作機械(台座)をはじめ、機械製品に広く使われる。まず、設計図にしたがって木枠をつくり、そこに砂を敷き詰め、砂枠を造る。溶融した金属を砂枠に注入する。金属は冷却する時収縮するので、木枠は設計図より大きく作っておく。どの程度大きく作るかは、経験の積み重ねの結果である技能によって、自ずとわかるものだ。砂の種類が多いので、金属の性質や鋳物の使われ方に応じて、最適の砂を選ばなければならない。

金属は短時間で固まるが、その固まり方が製品の優劣を決める。金属が収縮するので、溶融した金属を余分に注入する。注入した金属が、ひび割れや歪みを起こさないために、均等に冷却することが必要だ。また冷却する時に発生したガスが鋳物内に残らないようにするため、様々な技能が必要だ。
 鋳物は、多くの機械製品で使われるが、それぞれ要求される性能が異なる。自動車用の部品では軽量化が要求され、鋳物の薄さと強さを如何にバランスさせるか技能の発揮しどころだ。

「叩く」「削る」技能

叩く作業は、昔、鍛冶がハンマーで金属を延ばして、形を作ったものだ。現在ではプレスによって大量に加工される。そのためには金型が必要だ。もし金型とプレスがなければ、一つ一つ加工しなければならない。金型は大量生産型の機械製品の生産には、不可欠な道具である。金型は多種多様であって、自動車だけとってみても、一種類の自動車生産には約2000個の金型が必要である。自動車のボディーをプレスするには大型金型が必要であるが、半導体のリードフレームの生産には、超小型であり、超高速でプレスする金型が使われる。プラスティックを成型加工するときも金型が必要だ。

金型の生産にも特殊な技能がいる。例えば、金属を円形にプレスする場合、外側に張力が働き、内側に収縮力が加わるため、製品は金型通りにはプレスされない。そのため、実際の図面よりいくらか小型の金型を作らなければならない。その誤差が適切であるかどうかは、実際に金型をプレス機械に装着して加工してみないとわからない。金型が適切でなかった場合には、試行錯誤によって最適誤差を発見する。この試行作業が短時間で済むか、長時間かかるかは熟練の度合いにかかってくる。

また、複雑な形をした部品を作る時には、どのような金型を作り、何回プレスするかを決める金型設計が重要だ。金型設計は経験がものを言う分野だ。精密な金型の仕上げには、100分の1㍉単位の精密度が要求され、最終的には熟練工の触覚に頼っている。
 金型の種類は多いから、鋳造と同じようにそれぞれの専門メーカーが多くのノウハウを蓄積している。また、金型は新製品が登場する時に需要が発生する。そのため需要が間欠的であり、小回りがきく中小企業の競争力が強い。

金型とプレスに頼らず、現在でも手で叩き出す分野が残っている。その1つは小型船舶の先端の船体である。水を切って進む先端部分のカーブは大きな鉄板を大きなハンマーを使って打ち出していく。専ら熟練工の技能に頼っている。 

削るためには、旋盤、フライス盤、平削り盤などが必要だ。最も多く使われるのは旋盤である。もともと、熟練工には幅広い技能が必要であるが、旋盤工もその例外ではなく、「バイト」を研磨する技能も要求される。バイトとは加工対象の金属を削る一種の刃物である。鋭く研かれたバイトの刃は、早く削ると刃こぼれする。削る金属とバイトの堅さを比較して、刃の鋭さが決まる。

40年ぐらい前の旋盤工は当然のこととして、バイト造りを手伝った。真っ赤になった鉄をハンマーで叩き、延ばし、刃先に焼き入れをする。焼き入れにコツがあり、それによって、バイトの性能が変わる。バイトの堅さや粘りは決して均一ではなく、その日の焼き入れの具合によって、いくらか変わってくるので、熟練者はバイトに触って、刃をどの程度鋭く研磨するかを決めた。

熟練工になる意欲

「熟練工=安定した人生」だった

企業は、オン・ザ・ジョブ・トレイニング(OJT:実際に仕事をすることによって訓練する))によって、熟練工を育てた。工場現場には、中学卒の学力があれば充分こなせる仕事もあれば、高校卒の学力や理解力を必要とする仕事もある。60年代には、地方の中学卒の少年達が「金の卵」として、工場に迎えられた。大企業では、訓練学校を用意し、日々の仕事が終わった後に基礎教育を与えた。4年間で高校卒の学力を付けさせ、将来の技術進歩に備えた。実際に、彼等が日本経済の高度成長を支えた。

OJTは、具体的には、つぎのような内容だ。ベテラン社員が指導者になり、指導者は新人の前で実際に作業をやってみせる。次いで、新人が指導員の前で作業を真似る。その後、数日すれば、指導員は自分の本来の仕事に戻り、新人は一人で作業し、分からないことが発生したときには、指導員のところに聞きに行く。指導員は終業時刻になると、新人の仕事の成果をチェックする。
 こうして、新人は徐々に仕事を覚え、半年もすれば一人前としてラインで働く。OJTは大卒のホワイトカラーについても同様に行われる。まず、易しい仕事を与え、指導員が付きっきりで教える。徐々に難しい仕事を与える。OJTは「指導員が仕事をしてみせ、新人はそれを真似る」という作業の反復である。

仕事を一応こなせるようになると、ラインで働き、何年か経つと、技能が向上して、不良品を発見できるようになる。それを熟練工に知らせると、熟練工が処理してみせ、新人は処理の仕方を覚えるのだ。そのうちに、不良品の発生を防ぐには、仕事終了後に、機械をどのようにメンテナンスすべきかを考え、その方法を発見する。

数年経つと職場を異動する。それは今まで働いていた職場の前工程であったり、後工程だったりする。それによって、仕事の流れ全体を理解できるようになる。経験の幅が広がると、材料の品質、加工温度、加工速度等をどのように改善すべきかを具体的に提案ができるようになる。昔から、「道具を一人前に使えるには、その道具を作れるだけの腕前を持て」と言われたものだ。多くの従業員が、工程を改良できるという熟練を身につけたから、効率を向上させ、品質を高めることができた。

中小企業では、65年頃までは、新人は「見習い」であり、いろいろな仕事を手伝いながら、「技術を盗め」といわれたものだ。賃金水準が低かったので、企業は見習いにしておく経営的余裕があった。その後、人手不足になり、賃金が上昇するとともに、計画的な新人教育が広がった。新人には講義もあり、会社の概要、就業規則、働く心構えが教えられたが、実際の仕事に役立つものではない。仕事は工場でしか覚えられない。やはりOJTが教育の中心だった。

50年代から、終身雇用・年功序列という雇用慣行が生まれた。大企業では、ブルーカラーのなかで軸になる人材を選び、ジョブ・ローテーションによって、熟練の幅を広げさせ、技術進歩に対応するという人事政策が採られた。もし熟練工が退社すると、それまで投入した教育訓練投資が無駄になる。新人を採用しても、熟練工に育てるためには、長い年月がかかる。年功序列型賃金が必要だった。

経済成長率が高いので、熟練工は常に不足していた。終身雇用・年功序列型賃金は、企業にとってメリットが大きかった。ブルーカラーとホワイトカラーの賃金格差は僅かになった。大企業で長期間働き、熟練工になれば、安定した人生が保障された。

ハイテクにも欠かせない「匠」の技

中小部品メーカーは、多くの場合、組立メーカーと暗黙の長期契約があり、技術力さえ高ければ、需要が保障された。中小企業のオーナーは、「のれん分け」のように、長く勤めた熟練工の起業を助けた。東京・大田区や大阪・東大阪市などには、中小企業がひしめき、相互に仕事を分け合い、協力して、多様な製品を生産した。そこには超精密な加工製品を得意とし、安定した需要を確保している企業が少なくなかった。
 独立した企業は、元の企業と仕事を分け合って、お互いの客層を広げた。大企業であれ、中小企業であれ、熟練工は恵まれた職業だった。熟練した技を獲得するために励む人が増えた。地方の優れた若者が工業地帯に集まり、工業全体の技術水準が高まった。

70年代後半頃から機械設備の高度化・自動化が進んだが、熟練工の重要性は変わらなかった。例えば 鋳造設備では、溶融した金属の流れ方、熱の変化・分布、凝固のスピードなどをセンサーで測りつつ、コンピューターを利用して、工程を自動制御するようになった。しかし、熟練工は製品をチェックして、品質に問題がある場合には、コンピューター・プログラムを変え、工程を調整するという最も重要な仕事を受け持った。

金型についてみると、3次元測定器によって、熟練工のノウハウが凝縮している金型設計がデジタル・データ化され、CADーCAM(コンピュータ設計システム)によって自動加工されている。しかし、データー化されたのは、過去の金型設計であり、新しい設計には、熟練工の知恵が必要だった。センサーや3次元測定器に1000分の1㍉単位の測定ミスが起きることがある。精密加工用の金型では、最終的な調整が必要だ。さらにプレスに装着後、最終的な手直しがある。いずれも、熟練工が腕を発揮する場面である。

NC(数値制御)工作機械は工作機メーカーとコンピュータ・メーカーの協力によって開発された。その際、工作機メーカーが熟練工に蓄積されているノウハウを生かして、工作機械の初期設計や詳細設計を行い、コンピュータ・メーカーがソフトを作って、それを工作機械に結合した。最終調整は、工作機械メーカーの熟練工が行うのである。

大型機械の仕上げは、熟練工の腕の見せ所だ。例えば、CADーCAMと連動して金属加工を行う「マシニングセンター」では、それを構成する工作機械間の距離、自動溶接ラインの溶接ロボットの位置は、設置された工場の現場で熟練工が最終的な調整を行う。
 ハイテクの分野でも熟練工の技が生かされている。例えば、半導体製造設備の露光装置は、その内部のユニットの位置取りには、1000分の1㍉の精度が要求されるが、そんな精度でユニットを設置できる機械はない。熟練工の匠の技を生かした試行錯誤によって位置が決まる。高級な自動機械を製造する産業の競争力を支える重要な要素は、熟練工のレベルだった。

2002年にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊さんが、「スーパーカミオカンデ」で、ニュートリノを発見できたのは、静岡県の電子機器メーカー、浜松ホトニクスが、世界最大の光電子増倍管の製作に成功したからだ。それを可能にしたのは、光電子増倍管を覆う、薄く、透明で、圧力に強い大きなガラス玉を作ったガラス工の匠の技だった。

自動車工業における熟練

長期的取引で磨かれた技能

大型産業の自動車工業でも技術進歩は速かった。技術進歩は、多くの場合、組立メーカーがイニシアチブをとり、次いで部品メーカーが新技術を吸収して、次第に組立メーカーと対等以上の力を付けた。自動車産業では、部品メーカーが、組み立てメーカーから与えられた設計図と指示通りにつくる場合を「貸与図方式」といい、部品メーカーが部品の開発に参加する場合を「承認図方式」という。
 「承認図方式」のメリットをみると、まず部品メーカーにとっては利幅が大きくなり、また技術力の向上とともに納入先企業が増え、売上高が増大する。また、組み立てメーカーにとっては、部品の開発費負担が軽くなる上に、技術水準が高い部品メーカーから部品を購入できるので、自動車の品質が向上するというメリットが生まれる。

組み立てメーカーは、技術が優れた部品メーカーと長期的な取引関係を結び、良質・低廉な部品の安定的な供給を受けたいと考えている。その際には、希望する性能を示すだけであって、詳細設計も、できたら部品検査も部品メーカーに任せたい。部品メーカーの実力が増せば、組み立てメーカーは低公害車の開発等の革新的技術への投資を増やし、世界的競争に勝てる。
 しかし、一つの部品メーカーとの関係が深くなりすぎると、部品メーカー間の競争が弱まり、コストが上昇する可能性がある。そこで優れた技術を持った数社の部品メーカーと「承認図方式」で長期的な取引を続け、相互に競争させるのである。組み立てメーカーは、部品メーカーの技術を「承認図契約」が可能な水準に引き上げるには、協力を惜しまなかった。

例えばトヨタ自動車は、部品メーカーから技術者の出向を受け入れ、技術の移転に努めた。ある重要部品を生産しているメーカーは、40年間も、毎年、1~2名の出向者を送った。送り始めてから15年経って、技術水準の向上が認められ、やっと「承認図契約」になった。
 部品メーカーでは、技術水準が向上するとともに、金属材料を納入するメーカーに対して、金属の強度、柔らかさ、耐久性の要求が厳しくなり、また下請け企業に対しては、鍛造、金型、切削などの加工における誤差の範囲が厳格になった。1次、2次、3次の部品メーカーの熟練工が、こうした厳しい要求を吸収した。

極端な言い方をすれば、アメリカのメーカーはまずビジネスモデルをつくり、事業を構成する要素を自由に組み替えて、大量生産や技術革新に結びつける。自動車産業についていえば、組み立てメーカーがまず完成車の設計を決め、それに応じて、それぞれの部品が備えるべき機能が決まり、それを、現在ならインターネットで競争入札し、最も安い価格の企業に発注するのだ。
 これに対して、日本の組み立てメーカーは、数社の部品メーカーと長期的な継続取引を行い、技術を援助し、共同開発を行い、その結果部品の性能が向上すれば、それに応じて完成車の設計を変えるのである。それぞれの部品について、できれば、「承認図方式」による開発を含んだ一括発注を行いたいと考えている。1次部品メーカーは、2次部品メーカーとも同じような関係を結んでいる。長期継続取引と激しい競争が、結果的に、部品メーカーの従業員に対して、技能を磨くという目標と、それに応じた報酬を保証している。

現場を仕切る熟練管理者

自動車の組立メーカーでは、在庫をゼロに近づけるために、部品が”カンバン方式”によって淀みなく供給される。現場の労働者の仕事は、細かく「標準作業」に分けられている。そこでは、生産の淀みない流れをつくるために、決められた標準作業を正確にこなすことが重要だ。そのためには、身体が標準作業を覚え、目をつむっていても、間違いなく仕事をこなせるだけの「慣れ」が必要だ。次に、不良品が流れてきた時、一目見ただけで「おかしい」と感ずる直感が要求される。その上、小さな異常に対しては、ラインの流れを止めずに対処する機敏さが求められる。それができれば、立派な熟練工である。

工場では、休暇を取る者がいる。前の工程で能率が落ち、流れが悪くなることもある。そうした異常事態に対応するために、現場の管理者が必要である。仕事に慣れた人は、動作を工夫して、楽に標準作業をこなしている。管理者は、異常事態を乗り切るために、こういう人の標準作業を増やし、休んだ人の仕事を全体に割り振ったり、前の工程に応援を出したりする。そういう管理者は、生産ラインを立ち上げる時から参加して、ラインの流れをよく知っている上に、労働者の勤務評定をする権限を持ち、さらに人格が円満だという条件が必要だ。彼が、正社員、準社員、期間工などを束ねて、不満なく仕事させる現場の熟練管理者である。

現場の熟練工と熟練管理者がしっかりしている企業は強い。そのために、クビ切りをしない、生活を保障する、役員・社員に一体感・平等感を出す(日産自動車の役員の平均年収は1億2000万円に達しているが、トヨタは3000万だ)、現場に仕事を任せるといった経営姿勢が重要である。

熟練工を育てるには、長期的な契約と競争がバランスしているという経営環境が必要である。刺激と安定が両立している職場環境を保っている企業では、熟練を目指す若者が増えるに違いない。

熟練工が意欲を失い始めた?

多くのマクロ・エコノミストが期待するように、日本経済が、アメリカ式の市場経済と厳しい競争社会に変質した時には、多分、熟練工が意欲を失い、日本の製造業は確実に衰えるだろう。残念ながら、最近、そうした兆候が見られる。新日鐵、ブリヂストン・出光興産・JR東日本などで、大小様々な事故が起きたのは、現場の熟練工が少なくなったことと無関係ではない。
(中馬宏之=経済産業研究所、河野英子=東京富士大学、伊原亮司=一橋大学 各氏の論文を参考にした。)

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